2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

『新版 民主党の研究』

今頃と思いつつ、今日ブック・オフでひろってきて読んでいる。いろいろ思い出すという意味では便利な本だった。しかし、まあ、これだけのことがあったことが記憶の彼方に消えつつ(そもそも、菅総理就任前のことすら口をつぐんで)、代表選が繰り広げられよ…

『排除の構造』

ということで、『排除の構造』も読み返してみた。昔は、難しいなと思いつつ読んだものだが、今読み返すと、意外と断言が多かったり、???な部分もあったりして、なんか物足りなさが残った。学生時代はずいぶんと今村さんの本を読んできたし、それで随分と…

『例外状態』

例外状態がこのように解釈されると、儀礼や祝祭はどのように評価されるのかという疑問が浮上してくるのだが、こんな風に記述されていた。 アノミー的な祝祭は、法への生の最大限の従属が自由と放縦へと反転し、もっとも抑制の効かないアノミーがノモスとパロ…

ホモ・サケル

話は難民、「生きるに値しない生」、優生学、人間モルモット、収容所と進んでいくわけであるが、この本の議論の射程ってどれくらいになるのかまだよくわからない。 「政治がかつてないほど全体主義的なものとして構成されえたのは、現代にあっては政治が生政…

『狂気と家族』

別役実がこの本に言及していたので、これを機会にと読み返してみた。R.D.レインの議論はいまとなってはほとんど評価されておらず、また、彼が相手をしていた患者はいまでは境界例ではないかと考えられているようだ。 たしかに、患者の病的な異常さが家族…

例外状態としての一揆

やっとのこと今村仁司の『排除の構造』を引っ張り出せたので、目次をながめていたら勝俣鎮夫『一揆』が第三項排除の一例として取り上げられていた。しかし、アガンベンと見比べながら思うに、まず一揆を結ぶということは族縁的集団の外に出て集団を作るとい…

山口昌男とジンメル

『知の遠近法』でジンメルが引かれているというのはまったく記憶に残っていなかった。近々読み返す必要に迫られそうなのでとりあえずメモ。 知の遠近法 (岩波現代文庫)作者: 山口昌男出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2004/10/15メディア: 文庫購入: 1人 ク…

ホモ・サケル

このホモ・サケルと類比的に把握できるものとして、生き延びてしまった捧げ者(デウォトゥス)、皇帝の死、狼男、ホッブスの自然状態があげられていく。「しかしこの生は、単に自然的な再生産の生、すなわちギリシア人のいうゾーエーでもなければ、特性をも…

今日の足立正生『性遊技』

なぜか見ながら田中美津のことを考えていた。個人的には日本の68年が生んだ最高の到達点は田中美津ではないかと思っているのだが、それはともかく、この映画では、バリケードの内側の全共闘の実態ないしは限界が、性差の問題という形で見事に取り出されてい…

今日の『ホモ・サケル』

ホモ・サケル「この聖なる人間は、誰もが処罰されずに殺害することができたが、彼を儀礼によって認められる形で殺害してはならなかった」(107頁)。「このことが本当だとすると、聖化は二重の例外化をなしている。それは人間の法からの例外化であるとともに神…

『ホモ・サケル』

前の話のコロラリーだと言ってよいと思うが、われわれが法規範が存在するというとき、法規範はその実際の適用の如何にかかわらず存在しているわけだが、それはどのような意味においてかといえば、主権が潜勢力として存在するということである。そして「存在…

『児童虐待の社会学』

児童虐待もいじめでしょうということでちらほら読んできたのだが、構築主義的なアプローチだとあんまり必要な情報が入手できないな。この指摘はどこまであたってるのだろう。 わが国での児童虐待の問題化をめぐる言説戦略には、子どもの保護シナリオの書きか…

『ホモ・サケル』

こいつはそうそう調子よく読めないよ。訳文も固いし。とりあえず、主権の逆説のところ。 主権による例外化は、法的規範が効力をもつ可能性条件である。「「主権者は、法的秩序の内と外に同時にある」(25頁)。「実定法の効力が例外状態において宙吊りになるか…

「パリ20区、僕たちのクラス」

毎度のことながら事前に何の情報を仕入れることもなく、パリも20区だったら多様な子どもたちがあつまってくるんだろうなぐらいの気分で、てっきりドキュメンタリーだと思って見に行った。でも、見ていくうちにだんだんこれドキュメンタリーじゃないんだな…

『難民』

次のとっかかりにこれを読んでみた。 いわゆるインターナショナリズムが、国境を消滅させると考えるのは間違いである。それは見えざる境界を維持し続けるのであり、その境界が内向きに機能すれば、かつての日本のアジア主義のように、他民族の自立や独立を封…

セラー・ドア・セッションズ

この間、この6枚組を聞きながら一連の本を読んできた。Live Evilのもとになったヤツですね。 ザ・セラー・ドア・セッションズ1970アーティスト: マイルス・デイビス,ゲイリー・バーツ,キース・ジャレット,ジョン・マクラフリン,マイケル・ヘンダーソン,ジャ…

集列性と集団

この辺りの本を読んでいるとどうしてもサルトルの「集列性」の話が思い起こされてくる。『弁証法的理性批判』を括るのは手間がかかるのでとりあえず解説本から。 ・集列体「さしあたり集団が第二の存在である集列体と区別されねばならぬ点は、後者が個人たち…

ベケットと「いじめ」

かなり昔のある少年を自殺させるに至ったいじめ事件の分析が演劇論にもなっているという秀作。なぜか、あまりこの業界で言及されているのをみたことがない。いじめ本シリーズの最後に、再刊されたこの本を再読。問われているのは人間関係のなかで起こってく…

「ザ・コーヴ」

一応ということで、「ザ・コーヴ」を見てきた。内容の偏向についていろいろ言われているようだが、そのこと自体はあまり気にならなかった。一定の立場から撮れば、それにあわせて駆使する奇妙なロジックも同時にあぶりだされてしまうわけで、反捕鯨派はやっ…

『いじめの社会理論』

というわけで最初の本も再読してみた。こうしてみると、書き方や力点に変化があるとは言え基本線は同じですな。他にも何冊か本を出してるけど、それはどうなんだろう?いずれにせよ、あらためて読んでみて、この本の方がいろいろ考えさせる論点が出ていて読…

灰野敬二

一度は聞きにいかねばと思いつつ、結構こっちでライヴをやってるので、なんとなく先延ばしにしていたのだが(そうしているうちに、高田渡は逝ってしまった)、今回は共演者が山本精一だし、ということで行ってきた。いや、堪能させていただきました。また、…

『いじめの構造』

こちらも新書本が出ていたので読んでみた。さて、最初の本の方はどんな内容だったっけ。 「ここで問題にしているノリの秩序(群生秩序)では、共同生活のその場その場で動いていく「いま・ここ」が「正しさ」の基準となる。強制された学校コミューンの局面ご…

『いじめ=〈学級〉の人間学』

この人がいじめの本なんて書いてるの?というわけで絶版本を入手。基本的には、人類学というか記号論、「二項分割と曖昧さの産出とは一挙におこなわれるひとつの事態の二側面にすぎない」(43頁)というところから、「集団の秩序とその同一性の創出」を把握し…

『〈非行少年〉の消滅』

不登校とあわせて少年犯罪でも同様の傾向が見いだされることを確認しておくことにする。まずは、少年に犯罪にかぎらず指摘されている、犯罪の稚拙化から*1。 「少年補導の第一線に携わっている実務家らの間では、最近は、少年の凶悪化というよりも、むしろそ…

『日本の難点』

しばらく前に「クロ現」で相変わらず自殺者3万人を越えるこの国だが、自殺にまで至るパターンが分かってきたといいつつ、そのパターンがきちんと紹介されなかったので、ライフリンクの活動をちょっと調べてみようと思っていたのだが、この本で紹介されていた…

『いじめ 教室の病』

あわせて旧著も読み返してみた。やはり、いじめを学級の病と捉えて学級の成員を①加害者、②被害者、③観衆、④傍観者、⑤仲裁者に類型化した分析は秀逸だと思う。学級という空間の意味づけとそこへ参入する動機付けが、多様化しかつ個人化したものになってきてい…

『いじめとは何か』

新書本が出たので読んでみた。初見の気になった部分を抜粋。 一般的に、いじめを行うのは、疎遠な間柄や日頃から仲の悪い子どもたち同士で起きると考えがちである。しかし、実態は逆で、「よく遊ぶ友達」の間でいじめが起きているケースが最も多く、次に多い…

『不登校ーその後』

書名にひかれてこちらも目を通してみたところ、前著でT・ハーシのボンド理論を引きながら指摘されていたことが改めて確認されており、「ごく些細なことをきっかけとして今のこどもたちが不登校に陥っていくのは、こうした社会や集団や関係構造へのつながり…

森田洋司『「不登校」現象の社会学』

いじめや不登校のことを調べていくうちにこんなことを考えることになるとは思わなかったが、http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20100812/p2の続き。 日本の「伝統」的な「公」の概念にのっとれば、階層をなした組織のより上位のものが「公」であり、より下位の…

「森村泰昌 何ものかへのレクイエム」

豊田市美術館 最近、美術館に足を運んでいる余裕がなく、すっごく久々に美術館へ行った。相変わらずのセルフ・ポートレイトなのだが、数年前横浜でやったときは、名画の再現というモチーフでやっていて、そのなかに三島由紀夫のそれも含まれていたと記憶する…