『不登校ーその後』

 書名にひかれてこちらも目を通してみたところ、前著でT・ハーシのボンド理論を引きながら指摘されていたことが改めて確認されており、「ごく些細なことをきっかけとして今のこどもたちが不登校に陥っていくのは、こうした社会や集団や関係構造へのつながりの糸が弱いために、ほんのわずかな力が加わっても容易にキレてしまうことにも因っている」(14頁)。
 しかも、「不登校経験者のグループの「不就労・不就学」層は、前出のように22.8%であり、その出現率は日本全体のこの年齢層の出現率よりも高くなって」おり(25頁)、また、「希望どおりの進路に進めなかった人々の多くは、不登校という事実が進路形成に何らかの程度で影響を及ぼし希望が実現できなかったのだと捉えていることはたしかである」(29頁)。
 一方で、「中学卒業時から現在にいたるまでの生活のなかで、学校や職場でよい出会いや経験をしたり信頼できる人との出会いが少ないグループほど、不登校が減税の自分にマイナスに影響を与えているという評価を下している」(32頁)。「その意味では、不登校という事態への認識は、「不登校になった」という「点」のとらえかたから「不登校である」つまり「社会とのかかわりを見失っている」という「状態」としてのとらえが重要であり、その対応は「社会とのかかわりの形成」という「一連の過程への支援」という視点が大切である」(41頁)。ネットワーク理論のようなものが浮上してくる背景がこれでよく分かりますな。
 しかし、著者も指摘するように、「私事化社会は、既述のように、人々が自分の生活している場や所属する集団や関係のなかで、いかに自分らしく生きるか、あるいはこれらの場や集団や組織や社会に、どのような意味づけやニーズをもち、そこに自分が所属したり関係をもつことによって、どれだけの意味を見いだすことができているのかが重要な関心事となってくる社会であり」(7頁)、「集団や共同空間や社会などの公的領域の活動から後退し、私的な生活領域へと関心が集中する傾向があるだけに、人々が社会へかかわろうとする動機付けを確保し、意欲を高めていくことが重要な課題とな」る(22頁)。
 だが、「こうした私事化する社会のなかでは、リスクも共同体が引き受けることができず防波堤としての役割を弱めていくために、個々人がリスクを引き受けざるをえなくなる。そのために、私事化では、人は自分の行動を自らの判断と責任において行い、その行為がもたらす結果に対しても責任をもつ態度を培いつつ、新たな連帯形成の主体として行動していくことが求められる社会となっていく」わけで(20頁)、ここにはすごく難しい課題が控えていることになる。これって以前なら差別にかかわる問題だったわけだけど、それが差別問題に回収されない広がりを見せるようになっているという把握の仕方でよいのだろうか?

不登校-その後―不登校経験者が語る心理と行動の軌跡 (教職研修総合特集)

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