社会的行為の構造 1総論

第2章 行為の理論

「単位行為」 準拠枠

1、「行為者 2、「目的」 3、「状況」(行為者が制御しえない「条件」、制御なしえる「手段」) 4、「規範的志向」(状況の選択可能性)

①行為は時間的過程である、②「誤り」の可能性がある、③図式の準拠枠は主観的である

 

功利主義体系

 原子論、合理性、経験主義、目的のランダム性

 

功利主義のディレンマ

「もしも、目的がランダムでないとしたら、それは行為者が「ある経験的実在の科学的知識に基づいて目的を選択しうることに起因するだろう。しかし、このような修正教説は、目的と行為状況とを融合し、功利主義的立場にとって本質的な両者の分析的独立性を破壊するという論理的帰結に不可避的にもつ。なぜなら、事象の未来状態に関する経験的知識は、現在および過去の状態に基づく予測を唯一の可能な根拠としているからである。その場合、行為はその条件によって全面的に決定されることになる。なぜなら、目的が独立していないなら、条件と手段の区別は無意味なものとなるからである。行為はこのような諸条件に対する合理的な適応の過程となる。行為者の能動的役割は、自らの状況を理解し、未来の発展方向を予測するという役割に還元されることになる」(p,105)。

「無知と誤謬という言葉は、常識的には、単なる適切な知識の欠如を意味しているとうけとられている。しかし、実証主義的見地に立つなら、その言葉はもっと特定された意味内容をもたなくてはならない。科学的知識は人間が外的実在に対してもつ唯一有意味な認知的関係であると主張されている以上、問題となっている行為者が、なぜ無知あるいは誤謬あるいはその両方の犠牲者のなるのかを説明するには、二つの選択肢しか開かれていない。その一つは、この主観的事実を、科学的見方では行為との関連性を内在的に理解しえないような状況の諸要素の反映と見る見方である。その場合、それらはランダムな要素であり、より立ち入った理由や原因を穿鑿することなく最終的データとして取り扱う以外ない。その二は、それを説明しようという途である。無知や誤謬は、行為者が理解し損なったかあるいは積極的に誤解しはしたが、内在的に理解可能な要因の結果であるというのがその説明でなくてはならない。したがって、科学的探究者にとって唯一可能な方途は、行為者の主観的経験の「うらをのぞきこむ」こと、すなわち行為図式の主観的範疇をすて、客観的過程をとるやり方である。この客観的過程は、行為者自身「実際に」何が起こっているか知らないし、意識すること見なく行為者に働きかけている影響活動と想定されるだろう。

 ーーー。行為者は行為の過程でこのような要素を知るようになり、それに対して合理的に行為することが可能である限り、行為者はこの要素に関して科学的に妥当な知識を獲得し、無知や誤謬を除去するという形をとらねばならない、というのが以上の考察の結果である。ーーー。その場合、科学の手の届かない非合理性とは、終局的に行為者が人間事象に作用しているものについて、論理的に可能な補完的知識を持っていないことによって始めて生まれるのである。

ーーー。実証主義に基づく非合理性の説明は、既知の事実ではなしに、行為syが科学的に知ることが内在的に可能であるような要因に依拠せざるをえない以上、このような要因は、分析的一般化を行えば、非主観的定式化が可能な範疇、すなわち行為の条件に基づいていると考えられねばならない」(p,108-9)。

 

「功利主義的立場が放棄され二つの主要な修正教説のいずれかに流れこむ場合、実証主義の地平で行為を説明するやり方は、ただ一つ、主観的というよりむしろ客観的なものと想定された行為の諸条件に基づくもののみである」(p,110)。

「本章の冒頭で考察対象である概念図式、すなわち行為理論の構造の中核をなすものは、観点の主観性であるという事実に注意を喚起しておいた。しかし、合理主義的形態のものであれ、あるいは反主知主義的形態のものであれ、実証主義思想を極端に押し詰めたその極において、この観点の分析的必要性は消滅する」(p,110)。

 

第3章 行為理論における個人主義的実証主義の歴史的発展の諸段階

「実際、中核的な問題は次のように表現されよう。すなわち、一般的行為の図式を援用しながら、しかも諸利害の自然な一致という異議のある形而上学的教義をその支えとせずに、ホッブズ的秩序の問題をいかにして解決することができるか、という問題である」(p,167)。

 

 

 

 

 

 

 

日本社会と外国人

日本への「不法入国」、「密航」への対策が戦後の出入国管理政策の基礎となったが、これはGHQが朝鮮人・台湾人、沖縄・奄美出身者が引き揚げたのち許可なく内地に渡航してはならないとしたこと(1946年3月)に由来するものであり、「不法入国」や「密航」は新天地での困難に直面して慣れ親しんだ居住地に戻ることを意味していたかもしれない(p,24)。

第日本帝国憲法下の最後の勅令である外国人登録令(1947年5月2日)の公布によって、国内(内地)に居住する旧植民地出身者は外国人とみなされた(p,33)。また、この勅令は「密航者」を発見して送還するための法的根拠となった。

サンフランシスコ講和条約発効の前日、「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍および戸籍事務の処理について」(1952年4月19日)と題する通達により旧植民地出身者は居住地や個々人の希望に関わらず一律に日本国籍を喪失した(p,36)。その結果、在留資格を有することなく国内に滞在することになった。また、参政権、年金など日常生活で必要な多くの権利と戦後補償から排除された。

日韓基本条約により(1965年)、韓国国民として扱われる協定永住資格者と、資格を申請しなかった事実上無国籍で在留資格のない「朝鮮籍者」とに分かれた。また、協定永住資格者はサンフランシスコ講和条約発効時までに生まれたものとその子に限られた(p,59)。

日華平和条約が発効すると(1952年)、台湾人は在留資格がなく「中国籍」として扱われ、大陸系中国人は「中国籍」であっても植民地出身者でないことから在留資格の取得の申請が必要だった(p,62)。

入管闘争(1969年から73年)。難民条約の批准(1981年)にあわせて社会保障関係法などから国籍条項が撤廃された(p,80)。

出入国管理及び難民認定法の制定により(1982年)、旧植民地出身者のうち協定永住資格を取得していなかった者にも申請すれば一般永住資格が付与された(特例永住資格)。ただし申請期間以降に生まれた該当者の孫以降の世代には適用されなかった(p,89)。指紋押捺拒否運動。

1990年入管法は、労働者不足と「不法就労者」対策を同時に達成する目的で制定された。単純労働者には在留資格を設けず、研修制度を導入し、定住者制度を創設、非正規滞在者に対する一律の在留許可を行わず、「不法滞在」「不法就労」を問題にした。新たに設けられた在留資格は、医療、法律、会計事務、研究、人文知識・国際業務など十二の「活動に基づく在留資格」、「研修」(のちの技能実習)、難民申請者の一部、中国残留日本人、「日系人」が含まれる「定住者」、「日本人の配偶者等」(p,103)。

また、1991年に制定された「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(入管特例法)で、52年4月に日本国籍を喪失した旧植民地出身者のうち日本国籍を持たない者のうち日本国籍を持たない者のすべてを対象として特別永住資格が創設された(p,105)。

2006年の入管法改定で、日本に入国する16歳以上の(特別永住者を除く)外国人に対して、生体情報の提供を義務付け、取得した情報をデータベース化し、犯罪捜査だけでなく在留管理にも利用できるとした(p,131)。

2009年入管法で、在留資格「技能実習」を設定する一方、外国人登録法は廃止され新たな在留管理制度が導入し、非正規滞在者を排除し、外国人の出入国と在留に関する情報を法務大臣が一元的に管理することを可能にした(p,162)。

2016年5月24日ヘイトスピーチ解消法成立。

2018年入管法改定、人手不足への対策として在留資格「特定技能」を創設。「特定活動(EPA)」、2016年在留資格「介護」を創設。

「特殊な定義によって「移民には当たらない」労働力を受け入れた結果、永住を前提とした政策、すなわち移民政策を設ける必要はなくなる。「高度人材」がまた日本に定着・永住しないことも、雇用先としての魅力だけでなく、同じく移民政策の不在によってもたらされている可能性がある」(p,229)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハーバート・スペンサー コレクション

『政府の適正領域』

政府は正義の執行(自然権の保全)のためだけにある。そうすると、通商の規制(穀物法)は有害である、国教会は不要である、救貧法は認められない(「貧困に対する公的な蓄えがあるとき、金持ちの方では善意を実現しようというインセンティヴがないだろうし、貧しい人々の方では賢慮と節約への傾向がないだろう」p,29)、戦争は巨大な害悪であり政府から侵略の権能を奪うべきである、人為的な植民地化は有害である、国家教育は社会進歩に不可欠な多様性と独創性を破壊する、公衆の健康維持は立法の対象ではない。万人が費用負担なしに法の保護を受けられるよう、労働者階級には選挙権を付与すべきである。

 

『社会静学』

第一原理「すべての人は、他のすべての人の等しい自由を侵害しない限り、自分の欲するあらゆることを行う自由を持つ」(p,137)。

生命と人身の自由の権利、土地を利用する権利(「衡平は土地の私有を認めない」p,150)、財産権(「特定の期間、特定の目的のために、特定の条件のもとで、同胞から一筆の土地を貸借すれば、一個人が約束の賃料を人類に払った後で、残る部分の生産物を自分の財産にしても他の人々の権利を何ら侵害したことにならない」p,170)、観念への財産権(「人が自分の知的労働によって得たそのような知識を自分一人で使うために秘めておくことも、自分の私有財産として主張することも、道徳法則は許している」p,179)、政治的権利(「政府が存在するのは、万人が幸福への等しい権利を持つというこの法則を実現させるためだ」p,203)、国家を無視する権利(「法的状態からの自発的脱退の状態を採用する権利を市民に認めざるをえない」p,204)。

「すぐれたタイプの社会的組織は各部分の相互依存によって特徴づけられるのだが、それは各部分が相互を信頼できる限りでーつまり、人々が同胞に対して正しく振る舞う限りでーつまり、平等な自由という法則に従う限りでー初めて可能になるからだ」(p,225)。

 

『人間対国家』

新しいトーリー主義

「元来トーリー主義とリベラリズムは、片方が軍事社会から、他方が産業社会から発生した。前者は身分の制度を、後者は契約の制度を代表したー前者は階級間の不平等に伴う強制的協力のシステムを、後者は諸階級の法的平等を伴う自発的協力を伴うシステムを。そして何の疑問もなく、この二政党の初期の行動は、この強制的協力を行う諸機関の維持と、その諸機関の弱化あるいは制限をそれぞれ支持していた。このことの含意は明らかに、今リベラリズムと呼ばれているものは、それが強制のシステムを拡張している限りにおいて、トーリー主義の新しい形態だということだ」(p,275)。

迫り来る奴隷制

「第一は、あらゆる苦しみは予防されるべしというものだ。これは真ではない。苦しみの中には治癒的なものがあってそれを防ぐことは治癒を防ぐことになってしまう。第二は、あらゆる悪は除去することができるというものだ。しかし真理は、人間性の現実の欠点を前提すると、多くの悪はある場所から排除すると必ず別の場所に移るか罰の形を取るに違いないーしばしば変化によって増大さえするー、ということだ。前記の叫びはまた、国家があらゆる種類の悪に対処しなければならないという不動の信念も含意している」(P,292)。「規制政策のいかなる拡大も規制機関の増加ー官僚制のさらなる成長と公務員組織の権力の増大ーを含んでいる」(P,292)。「実際に、公的な機関が増えれば増えるほど、市民の中には、あらゆることが市民のために行われるべきだが何一つ市民によって行われるべきでない、という考え方が生まれてくる」(P,295)。「かくしてさまざまな種類の影響が力を合わせて、団体の行為を増大させ、個人の行為を減少させる。そしてこの変化はあらゆる側面において計画家によって助長されている」(P,300)。国有化、社会主義。「共同体のメンバーは、個人としては全体としての共同体の奴隷になる」(P,311)。「その最終的帰結は専制政治の再生だ」(P,311)。

立法者たちの罪

「社会内部における支配権力の攻撃性は社会の外への攻撃性とともに増大する」(P,316)。「元来戦争の倫理と同一だった政治の倫理は長期にわたって前者と似ているに違いない、ということだ。政治の倫理が前者から離れるのは、戦争とその準備が減少するからにすぎない。現在の状態がその証拠だ」(P,317)。「立法者たちが彼らの義務を行うにあたって備えていると言われる、この現時点の最高の知識なるものは、その大部分が明らかに重要でないもので、彼らは何が本当に重要な知識なのかわかっていないということについて責任がある」(P,342)。「本当に必要なこと、それは社会の中に集まっている人々の間に見られる自然な因果性の体系的研究だ」(P,342)。「個々人はある程度まで身体的にも心理的にも変えることができる」(P,343)。「構造の変化というものは何らかの仕方で遺伝される。世代ごとの小さな変化が積み重なって体質が状況に適合する」(P,343)。「諸個人はそれぞれに欲求の満足を求めており普通は自分の既存の習慣と思考によって一番容易に見える仕方でー一番抵抗がすくない仕方でーその手段を追求している」(P,344)。「満足を求める人々の諸欲求の中で、彼らの私的欲求と自生的協力を促してきたものの方が、政府機関を通じて働いてきたものよりもはるかに社会の発展に寄与してきた」(P,345)。「適者生存の有益な働きが過去の人々よりはるかに強く印象づけられているので、その作用を打ち消すことをためらうだろうと期待できる現在ー人々は世界史上かつてないほどまで、不適者の生存を促進するためにできることをすべて行っている!」(P,356)。保護主義。「この害悪の根源は、社会とは作り出されたものだという誤謬にある。社会とは成長したものだ。過去の文化も現代の文化も、社会に関する科学的な見方を多くの人々に与えてこなかった。その科学的見方とは、社会をあらゆる制度ー統治制度、宗教制度、産業制度、商業制度などーが相互依存的に結びついた自然な組織、ある意味では有機的な組織としてとらえるものだ」(P,363−4)。「社会の中のいかなる現象もその起源を個々人の現象の中に持ち、また生命現象の中に持っている、ということだ。ーーーつまり、結びついた人々が協力しなければならないときに人々の中から発生する現象の中には何らかの種類の秩序が存在するに違いない。すると明らかなことだが、社会秩序の結果生ずるそのような現象を研究したことがない人が社会を規制しようとしたら、彼はきっと害を生じさせるだろう」(P,366)。「社会組織の細部に介入する前に社会組織が自然史を持つか否かを研究すべきであり、この研究のためには最も単純な社会から始めて、社会組織がいかなる点において一致するかを見るのがよい、ということは十分に明らかだ。このような比較社会学をわずかでも行うならば、社会の生成の際の実質的な統一性が見られる。ーーーこれらを比較する人の誰にとっても、あらゆる個別的相違にもかかわらず諸社会はその生成と発展の仕方において一般に類似しているということがわかるはずだ。社会構造のこれらの特徴は、社会組織は諸個人の意志を乗り越える法則を持っていて、その法則を無視すると災いが生ずるということを示している」(P,367)。「立法の機能のためには、過去が遺したそれらの立法の経験に関する広い知識が欠かせない」(P,368)。

巨大な政治的迷信

「政府の権威は無制限だとという、トーリーにもホイッグにも急進派にも共通する暗黙のドクトリンは、立法者が神からの委任状を持っていると信じられていた時代にさかのぼり、今なお生き残っている」(P,370)。「議会の権利神授説は多数派の権利神授説を意味している。ここで立法者も人民も同じように行っている根本的な想定は、多数派は無制限の権限を持つというものだ」(P,376)。「多数派の意志に拘束さされることに事実上全員一致で同意しないような、行為の種類がたくさんある」(P,384)。「権利の創造と称されれるものは、社会生活を営む人々の個人的欲求から自然に生じる権利の主張と承認を形式的に裁可し、よりよく定義することにほかならない」(P,392-3)。「社会の進歩につれて、人々の権利を形式的に裁可するだけでなく、それを侵害に対して守ることも、ますます国家の仕事になってくる」(P,393)。「産業活動の増大と、それがもたらす身分制度から契約制度への変化、それに結びついた諸感情の成長に伴って、人々の行動への干渉は少なくなった」(P,395)。「諸個人の権利を認めてそれを強制することは、同時に正常な社会生活の諸条件を認めて強制することでもある」(P,407)。

 

「政府の力をその限度内に制約することは産業型社会にだけふさわしいもので。軍事型社会とは全く調和しないが、現在発展した諸国の特徴である半軍事的・半産業的社会とは部分的にしか調和しない」(P,415)

 

 

 

資本主義の本質について

第一論文では、イノヴェーションは資本主義というシステム特有の性質に深く根差したものであり、偉大な革新的な新製品を作り出せないということやその他での局面での技術進歩が遅れることは、社会主義というシステム特有の性質に深く根差したものであるということが論じられる。

第二論文では、不足経済が社会主義の特徴であるように、余剰経済が資本主義の特徴であることが論じられる。このとき資本主義経済では常に超過供給が存在するから市場は均衡しないことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イギリス革命の思想的先駆者たち

1、はじめに

2、ロンドンの科学と技術

3、フランシスコ・ベイコンと議会派

4、ローリー科学・歴史・政治

5、サー・エドワード・クックー神話の創始者

6、終りに

 

「ベイコン以前のイングランドでは、特に、ロンドンの商人やグレシャム・カレジに助けられて数学と天文学が非常に発達していた。同様に、手工業と関係のある錬金術が、新しい工業と、医術に明ける新しい薬剤に使用に刺激されて、パラケルスス風の医術に発達していた。科学におけるこの二つの傾向は通俗科学書にあらわれており、アリストテレスに反対し、実用的、楽観的であった。その上、ピュアリタンの伝統も強力にはたらいていた。これも反権威主義的で、アリストテレスとスコラ学派に反対し、理性と信仰を分離する傾向があった。さきにあげた科学における二つの伝統とこのピュアリタンの伝統は、特にロンドンの商人や職人に訴えるものがあったらしい。ベイコンのしたことは、この三つの伝統を結合し、そこから一つの思想体系を作り出すことであった。そうすることで彼ははかりしれないほど科学運動を強固なものにしたのである」(p,160-1)。

 

宗教改革のおきた四囲の状況により、このような愛国心は最初王政のまわりに結集していた。しかし、貿易商人をはじめ、プロテスタントや、海賊や、憂国の士たちの願望がひろがっていくにつれ、王政はとても彼らの望みを実現できないということが分った。そしてジェイムズ一世の下では、王政は異邦人の寵臣たちースコットランド人やゴンドマールと結びつくようになった。ローリやハクルート以後の前向きの一派の人々は、国家権力を行使して、神与の目的をおし進め、利益をまし、国家の威信を高めようと要求していた。1620年代及び30年代においては、ピュアリタンや、スペインに対して強硬な政策を主張する人々は、最も強烈な愛国者だと思われた。王の有能な反対派がこの新しい民衆のナショナリズムをふりかざしたことによって、王室の立場は疑いもなく非常に弱まった。この傾向に比較できるのは、同じ時期に、憲法の領域で、国王に対する忠誠と国家に対する忠誠にとの区別が発展していったことである。スペンサーとローリにとってエリザベス女王はイングイランドの象徴であったが、同じ意味あいでジェイムズやチャールズを語る人はほとんどいなかった。ミルトンはイングランド国民のイングランドを考えていたし、クロムウェルにとってイングランド人は神の選民だった。この意味の変遷それ自体が重要で静かな革命なのである」(p,336)。

 

「その生涯と死を通して、さらにそれ以上に著作を通して、ローリは、イングランドの人々が、彼とハクルートの示した計画の遂行に努力するように励ましたのであった。われわれが決して忘れてはならないのは、ローリの一生のあいだに、如何に突如としてもろもろの可能性がイングランドに開けたかということであり、同胞のうちに深くしみ込んだ無敵スペインという信念を突きくずすのに如何にねばり強くローリが闘わねばならなかったかということである。ローリもジェイムズと延臣たちの場合には到底勝ち目はなかったが、商人、手工業者、船乗り、器具製造職人、科学者などのようにイングランド航海術の革命を進めていた人々に説く場合は、何の障害もなかった。結局、事態はローリがこれ位は望んでもよいだろうと思ったのより一層早く、さらに先まで進んでしまったのだが」(p,387-8)。

 

「さて、本論にとってクックがどうして重要な地位を占めているかといえば、次のような諸点があげられる。第一に、彼はイングランドの法を体系化し、その過程において、法の自由主義化を推し進め、また、法を商業社会の要求に適したものにひろげていった。この仕事を通じて、彼は、一つの新しい世界の展開を妨げているあらゆるものに闘いをいどまざるを得なかった。この新しい世界は、財産を持った人がそれを使って自由に活動できる社会であり、これを妨げるものはもろもろの独占であり、ギルドの諸特権であり、恣意的な課税であり、恣意的な逮捕であり、あるいは国の経済生活に対する家父長的規制であった。彼のこの仕事はまた。コモン・ローと、国王の大権及び大権裁判所や教会及び教会裁判所との間にあつれきを生じたが、クックが政府内部で目的の達成に失敗するやいなや下院に協力を求めたのはけだし当然であり、止むを得ないところではあった。このような仕事をすることで、クックは、自然の理性に基づいた根本法という教義の展開に彼なりの貢献を果たしたー私には彼の役割の大きさはいえないにしても。この競技は、クックの弟子のオリヴァ・セント・ジョンがストラッフォド伯の弾劾に用いることになったが、さらに後年チャールズ1世に対しても用いられた教義だったのである。また、例えば、ブルック男爵や、ヘンリー・バーカーや、ジョン・リルバーンの政治上の考え方にそれなりの役割を演じたのがこの教義であった。特徴的なのは、クック自身は一六二八年、「私にはわからない言葉だ」として根本法という考えに反対した。彼が望んだのは、財産と人々の自由が、明確で誰でも知っているコモン・ローと議会制定法の原理によって守られることだったのである。

 クックが果たした第二の大きな貢献は、より直接に政治的なものだったが、当然、それはコモン・ローの自由主義化に伴って生じた。彼の巨大な力によって、キャムデンや、ストウや、スピードや、ローリがなし得なかったことが達成され、イングランド憲法に関する歴史的な神話がイングランドの人々に与えられた。ーーー。マグナ・カルタと議会の制定法は、クックが大層親切に、だが大層不正確に解釈しているところに従えば、神のしもべたるイングランドの人々がその自由を守るのに普段の警戒を怠らなかったことへの記念碑ともいうべきものであった」(p,446-7)。

 

 

 

 

自然法にもとづく人間と市民の義務

第2巻

1、人間の自然状態について

人間の状態は、自然的であるか、附加的であるか。

三通りの方法で考察される自然状態。①野獣たちの生活と状況と対照的、②人間の勤勉さによって改善された状況と対照的、③国家状態と対照的

虚構によって描かれる自然状態

「はじめから、多数の人々が他者に従属することなく、同時に現れたと想像する場合か、あるいは、全人類がすでに散在していたために、誰であれ別々に自ら統治し、本性の類似性以外の絆では他者と結びついていなかったとわれわれが思い浮かべる場合」(p, 170-1)。

実際に存在する自然状態

「実際に存在する自然状態は次のような状態であろう。すなわち、誰でも特別な共同関係でによってある人々と結合するが、他のすべての人々とは人間であるという外見以外には何も共有するものを持たず、それ以外の理由で彼ら対して何らかの義務を負うこともない、ということである。こうした状態は、現在では異なる諸国家の間と異なる共和国の市民の間に存在し、かつては分散した家父長の間に広がっていた。

 もちろん全人類が同時に、また一度に自然状態にあったことなど決してないことは明白である」(p, 171)。

自然的自由、平等

「自然状態に生きる人々にとってとくに重要な権利は、神以外の何者にも服従せず、責任も負わないということである。さらに、そうした観点から、その状態は自然的自由と呼ばれる。自然的自由とは、誰であれ自らの権利を持ち、先行する人間の行為がなければ、いかなる人間の命令にも服従しないことである、と理解されよう。このことから、もはや他者に服従せず、他者を服従させてもいないものは誰でも、他者と平等であるとみなされる。さらに、人間には理性の光が備わっており、その輝きによって自らの諸行為を正しく導くことができるのであるから、自然的自由の状態に生きるものは誰であれ、自らの諸行為を規制する際に誰にも依存することはないが、自らの裁量と判断に従って健全な理性と一致する、すべてのことを行う権能を有する、ということになろう。すべての生き物に備わっている共通の性向から、自らの肉体と生命を保持するために、そして生命を破壊すると思われるものを排除するために、人間はあらゆる方法で努力し、その目的のための手段を利用せざるをえないのである。しかも自然状態では、誰も別の人間を、自らの意思と判断を従わせる上位者と見なさないがゆえに、その状態では誰であれ、それが自己保存に役に立つかどうか、手段の適切性を自らの判断で決定するのである。というのは、彼がどれほど他人の助言を聞こうとも、彼が他人の助言を是認することを望むか否かは本人次第だからである。それでもやはり、この自己統治が正しく行われるためには、それが正しい理性の命令と自然法にもとづいて実行されることが必要である」(p,172-3)。

自然状態の不便宜

「自然状態では誰もが自らの力だけで守られるが、国家では全員の力によって守られるのである。そこでは、自らの勤労の報酬を誰も確約されないが、ここでは全員が確約されるのである。そこには欲望の支配、戦争、恐怖、貧困、嫌悪、孤独、野蛮、無知、粗野があり、ここには理性の支配、平和、安全、富裕、華美、車校。優美、科学、仁愛がある」(p,174)。係争の存在。あまり信頼できない友人。

 

2、婚姻に関する諸義務について

附加的な状態の中で最初に位置付けられるもの。

全人類、個々人。合意:男性から契約を開始する。一夫一婦制が有益。近親婚の禁止。

 

3、両親と子供の諸義務について

父親の権力:「それは最も神聖であると同時に最も古い種類の支配権である。それにより、子供は両親の命令を尊重し、自らに対する両親の卓越性を認めるよう義務づけられる」(p, 183)。

両親の子供に対する支配権は、自然法と子供の暗黙の同意から生じる。

子供に対する権利は、諸国家においては、庶子以外の場合、父親が優先される。

分散している家父長と国家のもとにいる家父長、

父親が親として持っている権力と自分の家族の長として持っている権力

 

4、主人と奴隷の諸義務について

一時的な使用人、自発的で永続的な奴隷、戦争で捕えられた奴隷、金銭で購入された奴隷、奴隷の両親から生まれた子供。

 

5、国家の設立を促す原因について

「要するに、人間よりも獰猛で、あるいは野放図で、社会の平和を乱しがちな多くのあに悪徳に陥りやすい動物はいないのである」。「したがって、家父長たちが自らの自然的自由を放棄して国家を設立することになった、真のそして主要な理由は、人間から生じ、人間を煩わす害悪に備えて予防策を講じるためであった」(p, 196)。

「というのは、自然法は人々にあらゆる侵害を行うことを自制するように命じているが、それでも、その法への敬意は、自然的自由の状態で十分安全に生活できることを人々に保証することはできないからである」。(p, 197)。「最後に、自然法は、他者を侵害するものは必ず罰せられるということを人々に十分知らしめているにもかかわらず、神の意思への恐れも良心の呵責も、いかなる人々の悪意も抑制する十分に強力な力を持っているとは認められない」(p, 197)。

 

6、諸国家の内部構造について

「多数の人々の意思は、次のような方法によらず統合されることはできない。それは、各人が自らの意思を、一人の人物あるいは一個の合議体の意思に従属させることであり、その時から、共通の安全に必要なことに関して、それが決めることは何であろうと、万人そして各人の意思とみなされなくてはならない」(p, 201−2)。

「さらに、規則的な方法で国家が形成されるには二つの契約と一つの決定が必要である。すなわち、まず最初に、自然的自由に置かれていると見なされるそれら多数の人々が国家を形成するために集められる際に、彼らは一個の恒久的な社会に集結し、自らの安寧と安全の手段を共通の教義と指導によって講ずることを望む、一言で言えば、彼らは相互に同胞になることを望む、という契約を彼らの間で個別に結ぶのである。すべての人々がそれぞれこの契約に同意せねばならないが、同意しないものは未来の国家の外に居続けることになる。

 この契約の後には、いかなる統治形態が導入されるべきかの決定がなされなければならない」(p, 202)。

「統治形態に関する決定の後に、生まれたばかりの国家の統治が委託される人あるいは人々が任命される時に、第二の契約が必要である。この契約により彼らは協働の安全と安寧を配慮するよう義務づけられ、残りの人々彼らに恭順の意を示すよう義務づけられる。さらに、この契約により、すべての人々は自らの意思を彼あるいは彼らの意思に従属させ、同時に共同の防衛のために自らの力の行使と連結を彼あるいは彼らに譲渡する。そして、この契約が正しく実行される、まさにその時に、ついに完全にかつ規則的な国家が誕生する」(p, 203)。

 

「このように設立された国家は単一の人格のように見なされ、一つの名称によりあらゆる個々の人々からは区別され、識別される。国家はそれ独自の諸権利と固有の財産を持ち、個人であれ多数であれ、そして全員でさえも、それを要求することはできない。それができるのは主権を持つ人、すなわち、国家の統治が委ねられている人だけである。したがって、国家は複合的な道徳的人格であると定義され、その意思は数多くの契約によって結びつけられ統合されたものであり、全員の意思とみなされ、共同の平和と安全のために個々人の力と能力を使用することができる」(p, 203−4)。

「国家の行為の源ともいえる国家の意思は、主権がどちらに委託されたかに応じて、一人の人間かあるいは一個の合議体を通じて自らを表明する」「しかし、国家の統治が、自らの自然な意思を保持している多数の人々から成る合議体に委託される場合には、通常は合議体を構成する人々の過半数が合意したものが国家の意思とみなされよう」(p, 204)。

支配権が委託される者:君主、元老院、自由な人民。

「こうして構築された国家では、支配権が委託される者は、それが一人の人間か少数の人々からなる一個の合議体か、あるいは全員からなるそれかに応じて、それぞれ君主、元老院、あるいは自由な人民と呼ばれる」(p, 204)。

残りの人々:臣民、市民(出生市民(土着人)/帰化人)、家父長。外国人、居留民。

「諸国家の起源について述べられてきたことは、国家権力は神に由来すると正しく言うことを妨げない」(p, 205)。

 

7、主権のさまざまな役割について

統治者の意思を示すための一般的諸規則の必要。刑罰への恐怖と刑罰を直ちに実行する能力。市民の係争を調べて判決を下すこと。統合し結合し武装すること。同盟。補佐、政務官。支出とその費用。教育者。

 

8、国家の諸形態について

国家の諸形態:規則的か変則的

「主権が一つの主体に統合されているために、分割されたり不安定でなく、一つの意思によって、国家のあらゆる役割と業務を通して管理されている場合は、前者である」(p, 210)。

君主政、貴族政、民主政

「規則的な国家には三つの形態がある。第一に、主権が一人の人間の掌中にある場合には、君主政と呼ばれる。第二に、主権が選ばれた市民だけから成る合議体の掌中にある場合には、貴族政と呼ばれる。第三に、主権がすべての家父長たちから成る合議体の掌中にある場合には、民主制と呼ばれる。第一の場合には、権力を掌握する者は君主と呼ばれ、第二の場合には貴族と呼ばれ、第三の場合には人民と呼ばれる」(p, 210)。

人間の欠陥と国政の欠陥

「そうした病的な諸国家に対してはまた、多くの人々が特別な名称を適用しているが、腐敗した君主政は僭主政、腐敗した少数者の体制は寡頭政、腐敗した人民の体制は暴民政治と呼ばれている」(p, 213)。

変則的な国家、諸国家の体系、共通の王を介した体系、恒久的な同盟

 

9、国家権力の性質について

「支配権は至高である」、「支配権には責任がない」(p, 216)。

主権は人体法と国家法に優越し、神聖である。

君主政、貴族制における主権は絶定的な場合もあれば制限的な場合もある。

 

10、支配権を獲得する方法について、とくに君主制について

占領「暴力で支配権を獲得する方法はふつう占領と呼ばれる」(p, 220)。

選挙「王国は選挙を通じて人民の自発的な同意によって獲得される」(p, 220)。

相続「自らの王国を世襲財産として保持している国王たちは、相続について思い通りに定めることができる」(p, 221)。

相続の順序。

 

11、主権者たちの義務について

「人民の福祉が最高の法である」(p, 225)。

公教育、明瞭で明白な諸法、法の執行、刑罰、市民たちの相互の侵害を防ぐ、行政の代行者の招集、必要経費分の税と他の負担、市民の私有財産が増大するよう配慮、党派の禁止、市民の剛毅と兵器の専門技術の養成。

 

12、国家法に関する諸問題について

自然法が市民によって適切に守られることが市民生活の秩序と平穏にとってきわめて有益なのである。したがって、主権者たちは自然法に国家法の効力と効果を与えるよう義務づけられる」(p, 232)。刑罰による制裁、訴権の付与、

「加えて市民は、神の法と明らかに矛盾しないかぎり、国家法を遵守すべきであるが、それは、いわば単なる処罰の恐怖からではなく、自然法それ自体によって確立された内面的な責務からである。というのは、自然法の戒律の中には、合法的な主権者たちに服従すべしという戒律もあるからである」(p, 234−5)。

 

13、生殺与奪の権利について

「国家主権は、市民の生命に対する権利を二通りのやり方で有する。すなわち間接的か直接的に有するのであり、前者は国家の防衛のためであり、後者は犯罪を抑止するためである」(p, 236)。

「さらに、刑罰の目的および人類の状況をわれわれが考察すれば、すべての犯罪が人間の法廷で罰せられるのに適しているような、そうした性質のものではないことは明らかである。したがって、純粋に内面的な諸行為、すなわち、ある犯罪を楽しく想像すること、欲望、願望、実行しない企ては、それらが後になって自白によって他人に知られるようになったとしても、人間の刑罰からは免除されるのである」(p, 239)。

「最後に、人間に共通する堕落に起因する、それらの精神の悪徳も人の処罰から免除されねばならない。それらはあまりにありふれているので、それらを厳格な刑罰で罰することを望む場合には、支配される人は誰もいなくなってしまうほどなのである。ただし、それらが過度な行為に変わらないかぎりにおいてである。たとえば、名誉欲、食欲、非道、忘恩、尊大、偽善、嫉妬、傲慢、短気、敵意および類似のものである」(p, 240)。

赦免。犯罪の重さ。

 

14、評判について

単純なものと強意的なもの。自然的な状態か国家的な状態か。

 

15、国内にある財産に対する主権の権限について

①「主権者たちは、国家の利益に一致させるための財産の使用に関して、あるいは所有物の量と質に関して、そして他者に財産が譲渡される方法に関して、この種のそれ以外のことに関して、市民に対して諸法を命じることができる、ということである」(p, 249)。

②「主権者は、市民の財産の一部分を、税あるいは公課の名の下に徴収することができる、ということである」(p, 249)。

③優越的所有権

王国の世襲財産:君主の財産と国有財産

 

16、戦争と平和について

「戦争を始めることができる正当な原因は次のようになろう。他者の不正な侵入に対して、」われわれ自身とわれわれのものを守り保護すること、あるいはわれわれに対する引き渡しが拒否されている債務を他者に要求すること、あるいはすでに加えられた侵害の補償と将来に対する予防策を講じること、である。第一の原因から防衛的な戦争は行われ、残りの原因で攻撃的と呼ばれる」(p, 252)。

「とはいえ、とくに権利あるいは事実に関して依然として何か疑念がある場合には、侵害を受けたと考えてもただちに武力に訴えてはならない。やはり、その問題が友好な方法で処理されることが可能かどうか吟味されなくてはならない」(p, 252)。「さらに、戦争の不正な原因は、明らかにそのようなものであるか。あるいは、薄弱であるにせよ何らかの口実を認容している」(p, 253)。

「戦争における最も特有な行動様式は暴力と恐怖である。そうではあるが、承諾した誓約に違反しなければ、敵に対して策略と計略を用いることは同じように許されているのである」。「敵とその所有物に対して戦時に行使される暴力に関しては、敵が被っても不正ではないものと、われわれ自身が加えることができても慈悲に反しないものが区別されなくてはならない」(p, 253)。

 

「戦争は正式なものと、正式ではないものにふつう分けられる。正式な戦争には、それが双方において主権を有する指導者によって行われること、さらには宣戦布告が先になされていることが要求される。宣戦布告されない、あるいは詩人に対して行われる戦争は、正式ではない戦争である。内乱もこれに属する。

 国家の戦争を始める権利は、主権を有するものに属している。したがって、主権者からの委任なくしてその権限を行使することは政務官の限度を超えているのである」(p, 254)。

 

「国家では、侵害を行った本人でなかったとしても、しばしば戦争によって国家の支配者あるいは国家全体が攻撃を受ける」(p, 254)。

「誰であれ自分のために戦争を行うことができるが、そればかりでなく、ある人が相手の代わりに戦争を行うこともできる。しかし、このことが正しく行われるためには、戦争が起こされる相手側に正当な原因が必要とされよう。他方で、援助者の側には、もっともらしい理由が必要とされる」(p, 255)。臣民、同盟者、友人、共通の血縁関係。

動産、不動産の取得、人民の支配権。休戦。講和。

 

17、同盟条約について

「すでに自然法によって命じられた、相互に履行さるべき何らかの義務に関して定めるもの、そして自然法の諸義務にさらに何かを加えるもの、あるいは、自然法の諸義務が不明確であると思われる場合には、少なくともそれらをめいかくにきていするもの、である」(p, 259)。

「後者の区分の同盟条約は、平等であるか不平等である」(p, 259)。

誓約

 

18、市民の諸義務について

 

 

 

 

自然法にもとづく人間と市民の義務

第1巻

1、人間の行為について

「ここで私が義務と呼ぶのは、責務に応じて、法令と正しく一致した人間の行為のことである」(p, 25)。

人間の行為、知性、正しい良心、懐疑的な良心、錯誤、無知、意思、習慣、感情、酩酊、自発的な行為、気が進まない行為、

行為の責任

「人間にそれらの行為の責任を帰せるのが可能であるということ、つまり、人をそれらの行為の張本人だと正しく見なすことが可能であるということであり、それらの行為を釈明するよう義務づけられ、また、それらの行為から生じる結果が自分自身に返ってくる、ということである。というのは、行為を何かの点で人の責任にできるとすれば、直接的にしろ間接的にしろ、その人物がその行為を理解し欲したことに起因するからである、あるいはそうあるかならないかはその人自身が決めたからである、という理由以上に、本質的な理由はないからである」(p, 34-5)。

 

2、人間の行為の規範について、あるいは法一般について

人間は責務を引き受けるのに適している

「義務を守ることができる人とは、上位者を持っていて、命じられた規範を認識することができ、さらに様々な方向に向きやすい意思を持ってはいても、規範が上位者によって命じられた場合には、その規範からそれるのは不正だと感じる人だ、ということになる。人間にはそういう本性を付与されているのは明らかである」(p, 43)。

上位者

「責務は本来人間の心の中に上位者によって導入される。すなわち、上位者は、彼に反抗するものに対してある害悪を及ぼす力があるだけでなく、彼の判断によりわれわれの意思の自由を制限することを求めるための正当な根拠も持ち合わせているのである」(p, 43)。

法は知られなければならない

「さらに、法は人々のために制定されるが、法がそうした人々の心に自らの力を行使することができるように、立法者および法それ自体について知ることが求められる。というのは、もし誰に服従しなければならないのか、何に対して従う義務があるのか知らないのなら、誰も服従できないだろうからである」(p, 44)。

普遍的正義

特殊的正義:配分的正義と交換的正義

神の法:自然法と実定法

人定法:実定法

 

3、自然法について

「人間は実際に自己保存に最も熱心な動物であっても、自分自身では足りないものがあり、自分の同類からの援助がなければ生存できず、相互の便益を推進するのに極めて適している動物なのである。それでもやはり、人間はそれと同様に悪意があり、傲慢で、すぐに怒り、他人に損害を及ぼす力があるばかりでなく、そうする傾向があるのである。そこから結論されるのは、人が安全であるためには、社会的であることが必要であるということ、すなわち、自分と同類の者たちと結びつけられることが必要であり、彼らがその人を傷つけるもっともらしい理由を受け入れてしまうようにではなく、むしろその人の便益を維持し増進することを望んでくれるように、彼らに対して振る舞うことが必要である、ということである。

 したがって、この社会性の法、すなわち、人間社会にふさわしい成員となるために、人がどのように振る舞うべきかを教えるものが、自然法と呼ばれるのである。

 このことが確定したら、基本的な自然法は、次のことであることが明らかとなろう。すなわち、どのような人であれ、自らに存するかぎり、社会性を涵養し維持しなければならない、ということである」(p, 54−5)。

「さらに、この戒律は明白な効用を有しているとはいえ、これが法の効力を維持するためには、神が存在し、その摂理がすべてを支配していること、またこういう理性の命令を、生まれつき備えている光の力により、神が公布した法として遵守するよう神が人類に命じたもうた、ということが前提される必要がある」(p, 55)。

「ある部分では、自然法は理性の光によって探究することができるし、また他の部分では、少なくとも自然法の共通の重要な条項は明白かつ明確であるから、それはすぐに同意が得られることがわかる、ということである。またそれは精神の中に深く根を張っているので、そこから二度と消し去られることはあり得ない」(p, 57)

 

4、神に対する人間の義務、あるいは自然宗教について

神の存在

 

5、自己自身に対する人間の義務について

精神と肉体。

正当防衛:「他の人間に対するわれわれの防衛は、どの程度にまで抑制され。緩和されなくてはならないのか」(p, 72)。

 

6、他者に対する各人の義務について、第一に、他者を侵害しないという義務について

絶対的義務:「誰も他者を侵害しない」(p, 85)。

損害の補償。

 

7、人間の自然的平等性を承認することについて

「他の人間と社会生活を営む責務は、すべての人間に等しく課せられている」(p, 93)。

 

8、慈悲の通常の諸義務について

「誰もが相手の利益を、適切にそれができうるかぎり促進せよ」(p, 97)。

 

9、合意する者の義務一般について

条件的義務「誰もが与えられた信義を守ること、つまり約束と合意を履行することである」(p, 104)。

不完全な約束と完全な約束

自発的な同意の必要、暗黙の同意、理性の使用、錯誤、詐欺、強迫、内容、違法なこと、他者の物

 

10、言語を使用する者の義務について

「言語によって、あるいは頭の中で考えていることを表現する、それ以外の決められた記号によって、他人をだましてはならない」(p, 117)。

「頭の中で考えていることが言語とは一致しないことがありえるにしても、人間の生活では、言葉が明示することがその人が言おうとしていることだと見なされる」(p, 118)。

 

11、宣誓する者の義務について

「敬意を持って宣誓に赴き、宣誓したことは敬虔に遵守する」(p, 122)。

 

12、物の所有権の獲得に関する義務について

「いまだに人間の数がわずかである間は、自分のために利用するという目的で獲得したものは確かにその人のものになったのであり、他人が彼からそれを奪ってはならないと、決められていた。しかし、それらの物が生じるもととなる本体そのものは、誰のものとは決められておらず、特別に誰かに関係しているわけでもなかったのである。ところがその後、人口が増大し、人間に食料と衣服をもたらすものに耕作が用いられ始めた時、争いを避けて善き秩序を導入するために、人々の間に物の本体そのものも分配され、誰に対しても自分の分が割り当てられた。最初に物を分配した際に、誰のものとは決めずに残ったものは、その後最初にそれを自分のものだと主張した者のものにできる、という合意が付け加えられた。それゆえ、こうして神の意思により、前もって人々が合意することで、少なくとも暗黙の合意によって、物の所有、すなわち所有権が導入された。

 さて所有権とは、ある物のいわば実体がその人に属し、そうなることで、全体として同じ方法でそれ以外の人に属することはないという権利である。そのことから次のようになろう。すなわち、固有のものとして私に属しているものについては、他の人々が個別の合意によってわれわれから権利を獲得していないかぎり、われわれの思い通りに処分することができ、彼らがそれを使用することを禁じることができる、ということである」(p, 128)。

所有権の取得:原始的/伝来的

「今日、ある物の本体に対する所有権を取得する原始的な方法は占有だけである」(p, 129)。「伝来的な取得方法には、法の規定により物が他人の手に渡るものもあれば、最初の所有者の行為によりそうなるものもある」(p, 131)。相続、贈与、使用取得。

 

13、物の所有権それ自体から生じる義務について

「誰であれ、相手に対しては自分の物を平穏に享受するのを許さなくてはならないし、暴力あるいは欺瞞によって、その物を損なったり、横領したり、着服しようとしてはならない」(p, 136)。

「他人の物が、われわれが罪を犯すことなく、善意のわれわれのものとなっており、依然として自分で自由に処分できる場合には、われわれはできうるかぎりそれが正当な所有者の元に戻ることを実現させなくてはならない」(p, 136)。

 

14、価値について

通常価値と卓越価値

 

15、物の価格を前提にした契約について、及びそこから派生する諸義務について

合意と契約:物の所有権や価格を前提とする合意

無償契約:委託、使用貸借、寄託

有償契約:物々交換、相互的な贈与、売買、貸借、消費貸借、組合契約、賭け事、保証契約、質・抵当

 

16、合意から生じる債務を消滅させる方法について

合意されたことの履行あるいは弁済

 

17、解釈について

法解釈