第2巻
1、人間の自然状態について
人間の状態は、自然的であるか、附加的であるか。
三通りの方法で考察される自然状態。①野獣たちの生活と状況と対照的、②人間の勤勉さによって改善された状況と対照的、③国家状態と対照的
虚構によって描かれる自然状態
「はじめから、多数の人々が他者に従属することなく、同時に現れたと想像する場合か、あるいは、全人類がすでに散在していたために、誰であれ別々に自ら統治し、本性の類似性以外の絆では他者と結びついていなかったとわれわれが思い浮かべる場合」(p, 170-1)。
実際に存在する自然状態
「実際に存在する自然状態は次のような状態であろう。すなわち、誰でも特別な共同関係でによってある人々と結合するが、他のすべての人々とは人間であるという外見以外には何も共有するものを持たず、それ以外の理由で彼ら対して何らかの義務を負うこともない、ということである。こうした状態は、現在では異なる諸国家の間と異なる共和国の市民の間に存在し、かつては分散した家父長の間に広がっていた。
もちろん全人類が同時に、また一度に自然状態にあったことなど決してないことは明白である」(p, 171)。
自然的自由、平等
「自然状態に生きる人々にとってとくに重要な権利は、神以外の何者にも服従せず、責任も負わないということである。さらに、そうした観点から、その状態は自然的自由と呼ばれる。自然的自由とは、誰であれ自らの権利を持ち、先行する人間の行為がなければ、いかなる人間の命令にも服従しないことである、と理解されよう。このことから、もはや他者に服従せず、他者を服従させてもいないものは誰でも、他者と平等であるとみなされる。さらに、人間には理性の光が備わっており、その輝きによって自らの諸行為を正しく導くことができるのであるから、自然的自由の状態に生きるものは誰であれ、自らの諸行為を規制する際に誰にも依存することはないが、自らの裁量と判断に従って健全な理性と一致する、すべてのことを行う権能を有する、ということになろう。すべての生き物に備わっている共通の性向から、自らの肉体と生命を保持するために、そして生命を破壊すると思われるものを排除するために、人間はあらゆる方法で努力し、その目的のための手段を利用せざるをえないのである。しかも自然状態では、誰も別の人間を、自らの意思と判断を従わせる上位者と見なさないがゆえに、その状態では誰であれ、それが自己保存に役に立つかどうか、手段の適切性を自らの判断で決定するのである。というのは、彼がどれほど他人の助言を聞こうとも、彼が他人の助言を是認することを望むか否かは本人次第だからである。それでもやはり、この自己統治が正しく行われるためには、それが正しい理性の命令と自然法にもとづいて実行されることが必要である」(p,172-3)。
自然状態の不便宜
「自然状態では誰もが自らの力だけで守られるが、国家では全員の力によって守られるのである。そこでは、自らの勤労の報酬を誰も確約されないが、ここでは全員が確約されるのである。そこには欲望の支配、戦争、恐怖、貧困、嫌悪、孤独、野蛮、無知、粗野があり、ここには理性の支配、平和、安全、富裕、華美、車校。優美、科学、仁愛がある」(p,174)。係争の存在。あまり信頼できない友人。
2、婚姻に関する諸義務について
附加的な状態の中で最初に位置付けられるもの。
全人類、個々人。合意:男性から契約を開始する。一夫一婦制が有益。近親婚の禁止。
3、両親と子供の諸義務について
父親の権力:「それは最も神聖であると同時に最も古い種類の支配権である。それにより、子供は両親の命令を尊重し、自らに対する両親の卓越性を認めるよう義務づけられる」(p, 183)。
両親の子供に対する支配権は、自然法と子供の暗黙の同意から生じる。
子供に対する権利は、諸国家においては、庶子以外の場合、父親が優先される。
分散している家父長と国家のもとにいる家父長、
父親が親として持っている権力と自分の家族の長として持っている権力
4、主人と奴隷の諸義務について
一時的な使用人、自発的で永続的な奴隷、戦争で捕えられた奴隷、金銭で購入された奴隷、奴隷の両親から生まれた子供。
5、国家の設立を促す原因について
「要するに、人間よりも獰猛で、あるいは野放図で、社会の平和を乱しがちな多くのあに悪徳に陥りやすい動物はいないのである」。「したがって、家父長たちが自らの自然的自由を放棄して国家を設立することになった、真のそして主要な理由は、人間から生じ、人間を煩わす害悪に備えて予防策を講じるためであった」(p, 196)。
「というのは、自然法は人々にあらゆる侵害を行うことを自制するように命じているが、それでも、その法への敬意は、自然的自由の状態で十分安全に生活できることを人々に保証することはできないからである」。(p, 197)。「最後に、自然法は、他者を侵害するものは必ず罰せられるということを人々に十分知らしめているにもかかわらず、神の意思への恐れも良心の呵責も、いかなる人々の悪意も抑制する十分に強力な力を持っているとは認められない」(p, 197)。
6、諸国家の内部構造について
「多数の人々の意思は、次のような方法によらず統合されることはできない。それは、各人が自らの意思を、一人の人物あるいは一個の合議体の意思に従属させることであり、その時から、共通の安全に必要なことに関して、それが決めることは何であろうと、万人そして各人の意思とみなされなくてはならない」(p, 201−2)。
「さらに、規則的な方法で国家が形成されるには二つの契約と一つの決定が必要である。すなわち、まず最初に、自然的自由に置かれていると見なされるそれら多数の人々が国家を形成するために集められる際に、彼らは一個の恒久的な社会に集結し、自らの安寧と安全の手段を共通の教義と指導によって講ずることを望む、一言で言えば、彼らは相互に同胞になることを望む、という契約を彼らの間で個別に結ぶのである。すべての人々がそれぞれこの契約に同意せねばならないが、同意しないものは未来の国家の外に居続けることになる。
この契約の後には、いかなる統治形態が導入されるべきかの決定がなされなければならない」(p, 202)。
「統治形態に関する決定の後に、生まれたばかりの国家の統治が委託される人あるいは人々が任命される時に、第二の契約が必要である。この契約により彼らは協働の安全と安寧を配慮するよう義務づけられ、残りの人々彼らに恭順の意を示すよう義務づけられる。さらに、この契約により、すべての人々は自らの意思を彼あるいは彼らの意思に従属させ、同時に共同の防衛のために自らの力の行使と連結を彼あるいは彼らに譲渡する。そして、この契約が正しく実行される、まさにその時に、ついに完全にかつ規則的な国家が誕生する」(p, 203)。
「このように設立された国家は単一の人格のように見なされ、一つの名称によりあらゆる個々の人々からは区別され、識別される。国家はそれ独自の諸権利と固有の財産を持ち、個人であれ多数であれ、そして全員でさえも、それを要求することはできない。それができるのは主権を持つ人、すなわち、国家の統治が委ねられている人だけである。したがって、国家は複合的な道徳的人格であると定義され、その意思は数多くの契約によって結びつけられ統合されたものであり、全員の意思とみなされ、共同の平和と安全のために個々人の力と能力を使用することができる」(p, 203−4)。
「国家の行為の源ともいえる国家の意思は、主権がどちらに委託されたかに応じて、一人の人間かあるいは一個の合議体を通じて自らを表明する」「しかし、国家の統治が、自らの自然な意思を保持している多数の人々から成る合議体に委託される場合には、通常は合議体を構成する人々の過半数が合意したものが国家の意思とみなされよう」(p, 204)。
支配権が委託される者:君主、元老院、自由な人民。
「こうして構築された国家では、支配権が委託される者は、それが一人の人間か少数の人々からなる一個の合議体か、あるいは全員からなるそれかに応じて、それぞれ君主、元老院、あるいは自由な人民と呼ばれる」(p, 204)。
残りの人々:臣民、市民(出生市民(土着人)/帰化人)、家父長。外国人、居留民。
「諸国家の起源について述べられてきたことは、国家権力は神に由来すると正しく言うことを妨げない」(p, 205)。
7、主権のさまざまな役割について
統治者の意思を示すための一般的諸規則の必要。刑罰への恐怖と刑罰を直ちに実行する能力。市民の係争を調べて判決を下すこと。統合し結合し武装すること。同盟。補佐、政務官。支出とその費用。教育者。
8、国家の諸形態について
国家の諸形態:規則的か変則的
「主権が一つの主体に統合されているために、分割されたり不安定でなく、一つの意思によって、国家のあらゆる役割と業務を通して管理されている場合は、前者である」(p, 210)。
君主政、貴族政、民主政
「規則的な国家には三つの形態がある。第一に、主権が一人の人間の掌中にある場合には、君主政と呼ばれる。第二に、主権が選ばれた市民だけから成る合議体の掌中にある場合には、貴族政と呼ばれる。第三に、主権がすべての家父長たちから成る合議体の掌中にある場合には、民主制と呼ばれる。第一の場合には、権力を掌握する者は君主と呼ばれ、第二の場合には貴族と呼ばれ、第三の場合には人民と呼ばれる」(p, 210)。
人間の欠陥と国政の欠陥
「そうした病的な諸国家に対してはまた、多くの人々が特別な名称を適用しているが、腐敗した君主政は僭主政、腐敗した少数者の体制は寡頭政、腐敗した人民の体制は暴民政治と呼ばれている」(p, 213)。
変則的な国家、諸国家の体系、共通の王を介した体系、恒久的な同盟
9、国家権力の性質について
「支配権は至高である」、「支配権には責任がない」(p, 216)。
主権は人体法と国家法に優越し、神聖である。
君主政、貴族制における主権は絶定的な場合もあれば制限的な場合もある。
10、支配権を獲得する方法について、とくに君主制について
占領「暴力で支配権を獲得する方法はふつう占領と呼ばれる」(p, 220)。
選挙「王国は選挙を通じて人民の自発的な同意によって獲得される」(p, 220)。
相続「自らの王国を世襲財産として保持している国王たちは、相続について思い通りに定めることができる」(p, 221)。
相続の順序。
11、主権者たちの義務について
「人民の福祉が最高の法である」(p, 225)。
公教育、明瞭で明白な諸法、法の執行、刑罰、市民たちの相互の侵害を防ぐ、行政の代行者の招集、必要経費分の税と他の負担、市民の私有財産が増大するよう配慮、党派の禁止、市民の剛毅と兵器の専門技術の養成。
12、国家法に関する諸問題について
「自然法が市民によって適切に守られることが市民生活の秩序と平穏にとってきわめて有益なのである。したがって、主権者たちは自然法に国家法の効力と効果を与えるよう義務づけられる」(p, 232)。刑罰による制裁、訴権の付与、
「加えて市民は、神の法と明らかに矛盾しないかぎり、国家法を遵守すべきであるが、それは、いわば単なる処罰の恐怖からではなく、自然法それ自体によって確立された内面的な責務からである。というのは、自然法の戒律の中には、合法的な主権者たちに服従すべしという戒律もあるからである」(p, 234−5)。
13、生殺与奪の権利について
「国家主権は、市民の生命に対する権利を二通りのやり方で有する。すなわち間接的か直接的に有するのであり、前者は国家の防衛のためであり、後者は犯罪を抑止するためである」(p, 236)。
「さらに、刑罰の目的および人類の状況をわれわれが考察すれば、すべての犯罪が人間の法廷で罰せられるのに適しているような、そうした性質のものではないことは明らかである。したがって、純粋に内面的な諸行為、すなわち、ある犯罪を楽しく想像すること、欲望、願望、実行しない企ては、それらが後になって自白によって他人に知られるようになったとしても、人間の刑罰からは免除されるのである」(p, 239)。
「最後に、人間に共通する堕落に起因する、それらの精神の悪徳も人の処罰から免除されねばならない。それらはあまりにありふれているので、それらを厳格な刑罰で罰することを望む場合には、支配される人は誰もいなくなってしまうほどなのである。ただし、それらが過度な行為に変わらないかぎりにおいてである。たとえば、名誉欲、食欲、非道、忘恩、尊大、偽善、嫉妬、傲慢、短気、敵意および類似のものである」(p, 240)。
赦免。犯罪の重さ。
14、評判について
単純なものと強意的なもの。自然的な状態か国家的な状態か。
15、国内にある財産に対する主権の権限について
①「主権者たちは、国家の利益に一致させるための財産の使用に関して、あるいは所有物の量と質に関して、そして他者に財産が譲渡される方法に関して、この種のそれ以外のことに関して、市民に対して諸法を命じることができる、ということである」(p, 249)。
②「主権者は、市民の財産の一部分を、税あるいは公課の名の下に徴収することができる、ということである」(p, 249)。
③優越的所有権
王国の世襲財産:君主の財産と国有財産
16、戦争と平和について
「戦争を始めることができる正当な原因は次のようになろう。他者の不正な侵入に対して、」われわれ自身とわれわれのものを守り保護すること、あるいはわれわれに対する引き渡しが拒否されている債務を他者に要求すること、あるいはすでに加えられた侵害の補償と将来に対する予防策を講じること、である。第一の原因から防衛的な戦争は行われ、残りの原因で攻撃的と呼ばれる」(p, 252)。
「とはいえ、とくに権利あるいは事実に関して依然として何か疑念がある場合には、侵害を受けたと考えてもただちに武力に訴えてはならない。やはり、その問題が友好な方法で処理されることが可能かどうか吟味されなくてはならない」(p, 252)。「さらに、戦争の不正な原因は、明らかにそのようなものであるか。あるいは、薄弱であるにせよ何らかの口実を認容している」(p, 253)。
「戦争における最も特有な行動様式は暴力と恐怖である。そうではあるが、承諾した誓約に違反しなければ、敵に対して策略と計略を用いることは同じように許されているのである」。「敵とその所有物に対して戦時に行使される暴力に関しては、敵が被っても不正ではないものと、われわれ自身が加えることができても慈悲に反しないものが区別されなくてはならない」(p, 253)。
「戦争は正式なものと、正式ではないものにふつう分けられる。正式な戦争には、それが双方において主権を有する指導者によって行われること、さらには宣戦布告が先になされていることが要求される。宣戦布告されない、あるいは詩人に対して行われる戦争は、正式ではない戦争である。内乱もこれに属する。
国家の戦争を始める権利は、主権を有するものに属している。したがって、主権者からの委任なくしてその権限を行使することは政務官の限度を超えているのである」(p, 254)。
「国家では、侵害を行った本人でなかったとしても、しばしば戦争によって国家の支配者あるいは国家全体が攻撃を受ける」(p, 254)。
「誰であれ自分のために戦争を行うことができるが、そればかりでなく、ある人が相手の代わりに戦争を行うこともできる。しかし、このことが正しく行われるためには、戦争が起こされる相手側に正当な原因が必要とされよう。他方で、援助者の側には、もっともらしい理由が必要とされる」(p, 255)。臣民、同盟者、友人、共通の血縁関係。
動産、不動産の取得、人民の支配権。休戦。講和。
17、同盟条約について
「すでに自然法によって命じられた、相互に履行さるべき何らかの義務に関して定めるもの、そして自然法の諸義務にさらに何かを加えるもの、あるいは、自然法の諸義務が不明確であると思われる場合には、少なくともそれらをめいかくにきていするもの、である」(p, 259)。
「後者の区分の同盟条約は、平等であるか不平等である」(p, 259)。
誓約
18、市民の諸義務について