森田洋司『「不登校」現象の社会学』

 いじめや不登校のことを調べていくうちにこんなことを考えることになるとは思わなかったが、http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20100812/p2の続き。
 日本の「伝統」的な「公」の概念にのっとれば、階層をなした組織のより上位のものが「公」であり、より下位のものが「私」であり、それが上位の「公」によって統合されているということになる。戦後に起こったことは、より上位の「公」への献身の動機付けが「私化」していき、横のつながりも弱体化していったことの帰結であるように思われる。こうした流れが著者のいう一連の「第一次私事化現象」であるといってよいであろう。
 「戦後の日本社会における国家や地域社会への献身の価値の極端な低下は、企業をはじめとする中間集団を国家や地域社会へと糾合する原理を欠いたまま、中間集団の集団主義的原理が突出することによってもたらされた構造的な現象である。つまり、個人を直接全体社会や地域社会へと接合する献身価値の回路の衰退と、中間集団を媒介集団として全体社会や地域社会へと献身する回路の衰退によって、個人と中間集団との関係だけに献身価値が一元化したのは戦後社会の「第一次私事化」現象である」(222頁)。
 そして、こうした動機付けの「私化」は当然、学校社会にも及ぶ。「学校社会の「第一次私事化」とは、このように教育に対する人々の意味賦与が、もはや対社会的機能という公的価値によって基礎づけられることなく、また、公的価値との均衡を保つ必要もなく、個人レベルでの学歴や地位の達成をめざして私的な欲求充足の手段の場として意識されるようになることを意味する」(223頁)。
 「第二次私事化」とはこうした伝統的な公のヒエラルキーそのものが半ば解体し、上位に位置していたはずの「公」が下位の「私」の献身を動機づけたり、統合することが困難になったものとみなせよう。「第二次私事化では、中間集団である企業や学校社会にたいする献身価値すらゆらぎを示し、充足価値」へと傾いていく段階である。「学校社会での第二次私事化は、一つには、全体社会レベルで生じた人々の欲求の肥大化の帰結であり、快楽原則の肥大化の結果である」。「もう一つは、学校社会が献身に値する報酬性を生徒に与えることができなくなったことと関連している」(224頁)。
 たとえば、「現代の子ども達は「出席群」「不登校群」の間に差はみられるものの、学校での成績が将来の幸せを保証するものではないとみなす生徒が過半数を超えている」225。「以上のことは、学校社会の成績による報酬体系が、もはやすべての子ども達の学校社会への動機づけを強化するほどではなくなってきていることを意味する」229。「この私事化は、学校社会内での意味の充足の放棄と諦観であり、求められない欲求の渇望は学校社会の外へと充足を求めて広がっていく行動となって現れる」230。「しかし、学校社会は社会的に企業社会と異なった性格づけをされた教育的空間である。つまり、そこでは、子ども達が自己実現を図るべき場であり、疎外される場ではないという位置づけを負わされた空間である。したがって、学校社会の中で窮屈さや無意味さを訴える子ども達が、学校外に広がる溢れるモノと情報によって欲求従属を図ることができたとしても、学校社会のもつ問題性は解決されたことにならない」275。
 こうして、上位の「公」が献身の対象ないしは意味の備給先からはずれたとき、この下位に位置する個々の「私」は、それ自体で充足しようとする一方で、同じレベルにある他の「私」との統合・調整をはかる原理を失ってしまうことになる。これは学校集団では、学びが学級内の主たる目標から外れ、友人関係を維持していくための小集団への分化やいじめとして現れてくるだろう。
 「こうして、子ども達は、「いま」学校生活に関心を集め、学校生活の中で自分にとって意味のあるものを探ろうという傾向が強くなる」(237頁)。「彼らの「私」の中心にあるのは、「好み」や「気分」であり、好きか嫌いか、自分にフィットするかしないかという感性的基準である」(237頁)。また、森田は休み時間や放課後のアジール機能を一面において評価するが、他方で、それが友人との関係の場にあまりに収束されすぎていることを問題にする。「もしも友人関係がこじれたり、満たされぬ者であれば、子ども達の充足空間は学校社会ではまったく閉ざされることにもなりかねない」(278頁)。
 「休み時間や放課後が自由な欲求の解放空間であることは、それ自他として否定さるべきことではないが、それが自由で解放的空間であるために必要な社会的装置が子ども達の間に形成されていなければ、この解放空間はもう一つの問題状況を呈する。それは、「公」の場としての課業では否定されたかに装っていた私的な欲求が、「公」の統制・監視機能の作用しないこれらの不可視空間で、無制限に噴出し広がることである。これを抑制する社会装置とは、生徒が学校社会のいずれの空間をも自立した個人と個人とが営む「public」な空間として認知することであり、自立した私権の主張と同時に他者の人格の不可侵性と他者の私権の主張をも認めるという公共性の場の価値原理を生徒間に自律的に共有させ、成熟させることでもある。もし、この原理が生徒間関係の中に形成され自律的に作用させることができなければ、学校社会の不可視空間では、私欲の拡張と他者の権利の侵害が無制限に広がることになる。いじめや生徒間暴力、校内非行などの問題行動は、共有された公的空間の関係価値を欠き、不可視空間に溢出した私欲の無制限な拡張である」(279頁)。

「不登校」現象の社会学

「不登校」現象の社会学