集列性と集団

 この辺りの本を読んでいるとどうしてもサルトルの「集列性」の話が思い起こされてくる。『弁証法的理性批判』を括るのは手間がかかるのでとりあえず解説本から。
・集列体「さしあたり集団が第二の存在である集列体と区別されねばならぬ点は、後者が個人たちの並列からなり、それらの個人はみなこの集合態的な総計の中で〈他者〉と規定されるだけで、それ以上の特性はもたぬ、ということである」(134頁)。
 サルトルが例に挙げているのがバスを待つ人たちの列である。「すなわちバスというこの対象を通して、潜在的な乗客たちは相互に交換可能的となり、かれらの内的諸性質は否定され、そしてかれらは単に〈他者たちの間の他者〉となる」(134頁)。「ユダヤ人を迫害する社会では、ユダヤ人であることは作り話ではなく、ユダヤ人が他者たちによって〈他者〉とみなされる現実的な一つの関係である。侮蔑の対象として複数的ユダヤ人は、この基礎のうえで一つの統一であり、集列性を組織する。個人対は互いに孤独の中に生存し相互交換可能的である。かれらがこの集合態に所属するのは、彼らが〈ユダヤ人であること〉のためで、かれらの内面的諸性質のためではない」(136頁)。
 「だが、集列的な統一そのものは「遁走する統一」であり、緩く結ばれた人間の集まりとして、構成された集団でないというあり方で組成されているにすぎぬ」136。「集列性は、集団のような構成をもたず、あくまあで受動的であり惰性的であり無組織的であるが、それにもかかわらず非常に強力であり得る」(140頁)。

・溶解状態ある集団(融合集団):次の段階としてサルトルが例示するのが、バスティーユに集った群衆である。
 「まず第一にかれが指摘するのは〈溶解状態ある集団(融合集団)〉が「すでに構成ずみの一集団あるいはいくつかの諸集団の超越的行動」によって形成のきっかけをえた、ということである。集列性がその緩い無能性から次のより力或る局面に進むのは、それが驚異にさらされたとき、あるいは弁証法的用語でいえば否定に答える否定をもってしたときである」。「すなわちこの場合統一は、外的集団の欲しないものであることは明らかだが、あくまで新しい融合集団の内部から生まれる」(157頁)。
 「「第三者は」は、対象としてのその惰性的な他者性から解放されて、自由な個人間の現実を直接的な人間関係として発見する」(158頁)。「このとき私はもはや〈他者〉ではなく、誰もと同じように第三者である。すなわち人は他の人と同じものとして集列体にいるのでなく、人は集団の媒介を通して他者である」(160頁)。「第三者の目的が共通の目的と成るのであり、そういうものとかれに感じられ、かれは自分がすべての他の人びとと一つの共通の緊急事態によって総合されていることを知る」(159頁)。「「われわれ」が今や、他者たちによって内面化されたものとしての「われ」の遍在性を表現するのである」(163頁)。

・強制の集団:「融合集団の拡散した構造としての暴力の確認」ないしは「人間性の始まり」
 「集団が自己に対してより意識的になるのは、それがなさねばならぬことを為し終わってからである」。「ひとたび緊張が過ぎると、集列性への復帰の脅威が再度現れてくる」(167頁)。「このような原始化の脅威に対処するものが制約であり、これによって前に集団に移譲された個人の自由が集団で凍結される。より技術的には、制約は「第三者による、かれの外面的否定の否定としての集団の永続性」の確立である」。「制約そのものは新しい形の惰性をおしつける。というのは、誓約は誓約する集団の成員たちから個人の側の自由を全部奪ってしまうからである」(167頁)。
「さらに、誓約は一種の相互性である。たしかにこのことは集団の状態を変える。というのは、誓約には、これが為されて以後私が裏切り者になることができるという可能性がはっきりと含まれているから」(167頁)。「ここでは自由は内側から制限され、同じように自分自身を内部から制限する〈他者〉の自由と併置される。その結果、誓約することは不可避的な付随物として第三者が再び〈他者〉になるという事態を伴う」(168頁)。
「誓約の段階が前の段階とこのように違っていることは事実だが、両段階が同一の動機をもち、その動機づけは恐れであることは忘るべきではない。危険はなお現前している。しかし今や、危険は集団の外部にではなくて内部にある。というのは、恐れは今や集団そのものが集列性に分解するのを見ることにあるからである。この危険を避けるために、集団そのものがその成員に或る直路かけ、その結果成員はすべて集団の内部で危険にさらされることになる。かれらをおびやかす暴力は、今や外部からでなくて内部から、すなわち集団そのものからくる」(168頁)。

サルトルのマルクス主義 (1968年) (筑摩叢書)

サルトルのマルクス主義 (1968年) (筑摩叢書)

サルトル全集〈第25巻〉方法の問題 弁証法的理性批判序説(1962年)

サルトル全集〈第25巻〉方法の問題 弁証法的理性批判序説(1962年)