『〈非行少年〉の消滅』

 不登校とあわせて少年犯罪でも同様の傾向が見いだされることを確認しておくことにする。まずは、少年に犯罪にかぎらず指摘されている、犯罪の稚拙化から*1。 
 「少年補導の第一線に携わっている実務家らの間では、最近は、少年の凶悪化というよりも、むしろその幼稚化の方が囁かれている」(16頁)。「重大な凶悪犯罪を引き起こす者は、かつては非行キャリアの進んだ少年に多かった」(28頁)。「しかし、近年の日本では、このような図式にあてはまらない少年犯罪が目立つようになっている」(28頁)。「近年は、そのようなごく普通に見える少年が、凶悪犯罪にカテゴライズされてしまうような行為に、いきなり初っ端から手を染めるようになってきた。このような最近の傾向は、少年犯罪の「いきなり型」化、あるいは「突発型化」などと形容されることが多い」(29頁)。
 それから、逸脱文化や社会的アイデンティティとの結びつきの希薄化*2
 「かつての非行少年たちにとって、仲間との関係は第一義的なものであった。彼らの犯罪は、仲間との連帯を強化し、グループへの忠誠を確認する手段として機能していた」(30頁)。この「非行グループは、たんに犯罪の巧みな手口を伝授する場であってだけではない。むしろ、犯罪に許容的な態度を醸成する場でもあった。だからこそ、非行グループに加わることは、非行サブカルチャーに慣れ親しむことを意味し、したがって反社会的な態度や信念を確立することにつながっていたのである」(34頁)。
 「近年の強盗事件においては、たしかに多人数による共犯は増えているものの、仲間どうしの結びつきは逆に弱まっている。集団的に犯行に及んでいるように見えても、そこには集団への強いコミットメントが存在していない。だから逆に、仲間からの誘いを断ることができずに、その場の雰囲気に簡単にのみ込まれて犯行へと加わってしまいやすいのである」(31頁)。「このような傾向の反映として、強盗のような腕力を必要としない罪種においては、共犯事件はむしろ減ってきている」(33頁)。「近年の校内暴力は、まったく組織化されておらず、きわめて個人的でアナーキーな行為へと変質している」(37頁)。
 「かつての暴発型犯罪が、濃密な人間関係の重圧ゆえに生じるものであったとすれば、近年の暴発型犯罪は、その濃密な人間関係の不在ゆえに生じているといえるのである」(40頁)。「このように見てくると、今日の少年たちは、二重の意味において他者が欠落していることになる。一つは、これまで述べてきたように、被害者にされる他者に対しての想像力を欠いていることが、衝動的なふるまいへの促進要因となっているという意味においてである。オヤジ狩りという表現がまさしくそれを象徴していた。二つめは、「重要な他者」に対する想像力の不足によって、衝動的なふるまいを抑制する機能がうまく作動しなくなってきているという意味においてである」(81頁)。
 他方で、社会の側もそれに即応するような態度をとりはじめているということ。
「少年犯罪をリスクとみなし、その発生原因を社会的コントロールの射程から外在するものとして与件化してしまうことは、少年の育成に関する責任を、共同体としての社会が放棄していることを意味しているのである」(320頁)。

非行少年の消滅―個性神話と少年犯罪

非行少年の消滅―個性神話と少年犯罪

*1:http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20100513

*2:こっちはどんな話だったっけ。

不良少年 (ちくま新書)

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