飯田真・中井久夫『天才の精神病理』

 出先でちょこちょこ読んでいた本。一章単位で話が完結する本は合間合間に読みやすいので重宝。この本、学生の頃、多分に下心があって読んでいるんだけど、読み返してみてまったく読んだ記憶がない。当時は、ろくに精神医学の知識がなかったし(今でもあるとは言えませんが)、単に伝記の延長としてしか読めなかったに違いない。だけど、この間に少しは精神医学の知識も入れたり、年を食って自分の性格を少しは冷静に見つめられるようになったということもあるだろう。ボクが彼らに遠く及ばないところにいるにしても、自分の性格をはかるバロメーターぐらいにはなるかな。面白く読了した。たとえば、この違いの説明はわかりやすい。

同じ几帳面、不完全、完璧の追求にしても、強迫性格者の場合には自己の内面の不確実性を代償し、隠蔽するためであり、分裂病圏の人にあっては半ば外界に対する防衛、半ば幻想的な高さにまで高められたナルシス的自己像に合致しようとする努力に基づくものである。いずれも、内面的、外面的権威に答責しようとする躁うつ病圏の人とはおのずと意味を異にするのである」(171頁)。

 ニュートンウィトゲンシュタイン分裂病圏、ダーウィンとボーアが躁うつ病圏、フロイトとウィーナーが神経症圏にあるというんだけど、読んでいる印象では、分裂病圏の天才に比べて、躁うつ病圏と神経症圏の天才はより連続した関係にあるように思えた。それぞれ自立の課題は違った形で与えられることになるのだけれど(うつ病圏の天才の方が自立にあたっては、幻想に支えられるところが大きい)、世間、とりわけ父親、との葛藤を抱え込んだり、自立にいたるまでの彷徨期間といったあたりはかぶってると思う。精神分析的には、われわれはみな神経症であり、他方、躁うつ病が現実と同調的に生きようとするところに起きる病であれば、まあ、そうなるのも自然かな。
 で、科学の歩みを眺めてみると、分裂病圏の科学者は、一つの学問の大系を一挙に創始し、躁うつ病圏の科学者がそれを肉付け、発展させる。神経症圏の科学者は、異なった領域を架橋すると。

天才の精神病理―科学的創造の秘密 (岩波現代文庫)

天才の精神病理―科学的創造の秘密 (岩波現代文庫)