ウィルヘルム・ディルタイ

 こんな本を発掘。最初にこっちを読むんだったな。ずっと読みやすい。マックリールのディルタイ解釈はディルタイの議論の発展をカントの『判断力批判』に結びつけたところに特徴があるけど(それで、あの展開なのか)、オーソドックスには批判期以前のカントを参照していることになるらしい。それからアリストテレスの「実践」が「生」に変換されているらしい。とりあえず、社会秩序に触れた部分だけ引用。

「共存し持続する感覚の秩序」としての客観的世界は次のように分析される。最初に実在するのは「感情的世界」であり、次に、感情から導かれると同時に感情を規制する「第二の秩序」として社会的秩序が存在する。具体的にいえば、名誉心や良心などの内的に与えられる感情世界が存在し、その上で、この感情の現れとしての人間の行為によって、社会的秩序が成立するのである。---。言い換えれば、感情は単に主観的なものではなく、「感情の客観性」として「制度」というかたちをとり「客観的人倫」をなすのである。---。こうして、客観的人倫に関する学問ー倫理学や法学ーもまた自立性の根拠を獲得する。
 さらにディルタイは、このような社会的秩序におさまらない感情世界も存在するという。---。つまり、名誉や良心などが社会的な関係において客観的に存在するのに対して、創造的個人の想像力によって形成される世界は、自発的に創造されるシステムとして、社会的客観性、制度化された共同体的な行為とは別個に存在するのである(96-7頁)。

 で、ディルタイにとって文化的歴史的現象の単位は世代なんですな。マンハイムと関係するのかね。

 ディルタイによれば「人倫、法、経済、国家は、ある全体、社会の実践的世界を形成する」が、このような全体を探究する出発点は「個人」におかれなければならない。この諸個人の意志の相互作用が絶えず行われるのが、社会であり、それはシステムとよばれるさまざまな関係の様式からなっている。---。
 ディルタイはこのシステムによって、自然と区別される自立的な歴史的世界の根拠を確保する。---。システムは、その相互作用の様式の相違に応じて「習俗、法、経済、国家」に分類される。分類され区別される諸システムは結節点としての個人によって結びあわされ、社会は諸システムの統合体として存立する。この自然から区別されるシステムを把握する「内的な気づき」こそ、観念連合とは異なり精神の実在にふれるものである(117頁)。

 これが『精神科学序説』になると、ギールケと関連しそうだとか。

個人が含まれる社会的事実の連関は、法や宗教、言語などの形において多様な現れ方をするが、こちらについての理論をディルタイは「第二秩序の理論」とよび、これを、記述心理学を「自然連関の諸条件のもとにある個人の相互行為に応用」した結果として生じる「社会の外的組織」と「文化のシステム」についての科学として捉えるのである。第二秩序として並べられる文化のシステムと社会の外的組織の違いは、考察の出発点となる歴史的統一体が、一つの「目的連関」に結びあわされているのか、あるいは、持続的な原因により「諸々の意志を一つの全体的な結合に統一」されているのか、にある。統一体が前者の特質をなしているとき、それは文化のシステムと名付けられ、後者の特質を実現しているとき、それは社会の外的組織としてとらえられる。具体的に言えば、倫理や教育、宗教、経済などは文化システムの例であり、国家や境界、政治結社労働団体などは社会の外的組織の例である(144-5頁)。

 で、教育の目的と普遍史の構想は一致すると。

ヴィルヘルム・ディルタイ―精神科学の生成と歴史的啓蒙の政治学

ヴィルヘルム・ディルタイ―精神科学の生成と歴史的啓蒙の政治学