ヴィヴィオルカ『レイシズムの変貌』

 ついでにこっちも。これも論点がきれいに整理されていて便利。まずは、レイシズムの変貌。

 初期のレイシズムでは、序列という垂直軸が重要だと思われてきたのに対し、今日のレイシズムでは、文化間の差異という水平軸が重んじられているということである。実際、現代において、レイシズムは多くの面で文化やアイデンティティの戦闘という様相を呈し、特に脅威とされる文化的差異を否定したり、遠ざけようとしたりする。この視点において、他者とは風習や伝統によって規定された違いを乗り越えることが不可能なものとして位置づけられ、排除、追放、あるいは少なくとも遠くに隔離すべきものとして考えられる。その点において、差異の論理は、従来の劣等化の論理より強固だと思われる。というのも劣等化の論理は、社会関係あるいは植民地関係において、自然的性質を前面に出すことで他者をより搾取しようとするものであるが、そこにはまだ他者が存在する場所があったからだ(64頁)。

 その背景にあるものとしてもっとも大きいのは「工業化時代に特徴的な社会関係の解体である」(113頁)。「もはや移民は労働力ではなく人口問題となった」(115頁)。

 こうした社会状況の変化に伴い、移民やその子孫に対するレイシズムも形を変えた。それまでレイシズムは、生産関係内部での労働者の搾取という様相を帯びていたが、新しいレイシズムは、移民の子どもを労働市場から排除・差別し、都市空間でも彼らを遠ざけるようになった(116頁)。

 それから、興味深い指摘は制度的レイシズムのそれ。いわば差別する側にも適応的選好形成がおきるわけだ。

 支配階層は自らが君臨する支配メカニズムを自覚しておらず、極端に言えば反人種差別を訴えるような良心さえもちうる。つまり、支配層はレイシズムから利益を得ているにもかかわらず、自分には関係ないと考えることで、差別の機能を隠蔽し、見えなくすることができる。---。
 レイシズムが政治的に信用を失い、法で禁じられ、科学者からもまったく評価されず、偏見が表に出される空間がほとんどなくなっても、制度の自然な傾向を食いとめる政策が意図的に採られなければ、被差別集団の成員はいつまでも経済や政治空間の底辺労働にしか就けず、雇用、住宅、教育の領域で差別を受けるものだ(40頁)。
 問題が存在するのは、社会の機能の内側である。レイシズムは社会の構造的特徴の一つとして、日常生活に刻み込まれており、そこでは黒人の劣等化と支配が、理論化や化科学的な正当化の必要がないほどまでに当たり前になっている(39-40頁)。

レイシズムの変貌

レイシズムの変貌