共同存在の現象学

 読みにくいのかなと思ってやっと読み出したらそうでもなかったが、話をまとめにくいな。まずは、フォイエルバッハから始まる。「私は、他の現存在に基礎づけられた存在者であって、けっして根拠を欠いた存在者ではないということである」(47頁)。
 「「世界」の事実的な意義は、本質的にいって人間的な、あるいは人間学的なものなのである」(60頁)。和辻の「世間」みたいな話だな。
 「いわゆる固有名とは、かくしてふたつの意味で他者の名である。さしあたり他者たちに与えられたものとしても、他者たちのためにさだめられたものとしても、他者のなまえなのである。或る人物にとってほんとうの固有の名は、もっぱら一人称の人称代名詞、すなわち《私》である」(70頁)。
 ディルタイを引きつつ「じぶんに固有の生と体験が、他の人格を了解することで拡張され訂正され、他方ではまた、他の人格が固有の体験を介して理解される」(81-2頁)。
 「自然的ならびに人間的存在が存在的に比較されうることの基礎は、したがって、人間における内的なものと、自然における外的なものとのあいだにある「第三項」ではない。比喩的な比較におけるこの中間領域が存在的にはやはらい人間の「本性」に、存在論的には世界に対する人間の統一的な関係にもとづいているのである」(111頁)。
 「普遍的な実在性経験一般の形式のためにとりわけ第一にはたらくのは、共同世界であって周囲世界ではない。しかもその理由は、人間的生が第一次的には共同世界の内部でいとなまれること、また、人間がもっとも重要な生の体験を遂行するのは、人間の外部にある自然に対して一方的にふるまうことにおいてではなく、共同世界との相互的な関係にあってのことであり、この関係こそがもっとも基本的で基礎的な経験を人間に与えるという、単純な事情なのである」(128頁)。これも「間柄」みたいな話ですな。
 

共同存在の現象学 (岩波文庫)

共同存在の現象学 (岩波文庫)