人類学とは何か

 訳者は菅野盾樹さんだし(ってか、彼がずっと注目していたんですね)、序文はこれ人類学なんかいなという調子だし、理論人類学というけど、メタ人類学というか人類学批判みたいな感じ。なによりも、文化人類学と心理学は相互補完的なんですね。そして、付録の論文は関連性理論の原型みちあなものだと言ってよいだろう。象徴的処理(象徴的呼び出し)と理性的処理(演繹)の組み合わせが「関連性理論」の元だと考えると随分とっつきやすくなるな。
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 人類に共通かつ固有な属性はなんなにか。人類学にとって必須なこの問いに対しては、ただ思弁的にのみ答えることができる。−−−。もしも人類がなにか共通のかつ固有のものを持つとするなら、それは人類にさまざまな言語、文化、社会制度の発達を可能にする精神能力であるはずである(9頁)。ーーー。「だから原理的に言って、人類学と心理学とは緊密で豊かな関係を結ぶべきだろう(10頁)。

 解釈と記述と複製(類似)。「記述とは、それが真である場合に適合的な表象である」(31頁)。非記述的な表象には、表象された対象を同定し、表象の形式を特定する記述注釈がいる。それにより経験的な諸帰結が引き出せるようになる。民族誌的解釈は間接話法によって表現される。「解釈された対象も、それ自身対象を持っている」(48頁)。概念表象にかんする表象、報告された談話。
 ある人間集団を循環する、多数の心的で公共的な変化刑からなる表象の集合が、この集団の文化である。観念の再生、変形、融合、伝染。「人類学者の任務は文化的表象を説明すること、すなわち社会集団によって特定の表象が選別され共用されるように作用する機制を記述することである」(73頁)。
2,

 概念表象はただ一つの命題を同定する働きをするが、もし概念表象が不完全な場合、すなわあち主体がその概念内容を完全に知ることができない要素が含まれている場合、それは役目を不完全にしか果たさないことになる。ある表象がただ一つの命題をうまく同定しうる場合、それを命題表象と呼ぼう。命題表象は完全に理解された観念に対応する。また、ただ一つの命題の同定にしくじる表象を半命題表象と呼ぼう。この種の表象は中途半端に理解された観念に対応する(111頁)。
 半命題表象はその要素の概念内容と特定する仕方がいく通りあるかに応じて、その数だけの命題解釈を受け取ることができる。原則的にはその中の一つが正しい命題解釈である。換言すればそれによって半命題表象が対応せしめられるはずだった命題が同定されるのである(112頁)。

 たとえば、詩的テキスト。「事実的信念」(知識)と「表象的信念」(心的表象)、この二つは意識の仕方がことなるとしても、その違いを意識しているとはかぎらない。事実的信念は関連性を有する他の事実的信念と論理的に両立するとき合理的であり、半命題表象を事実的信念として受け入れることは合理的ではない。間接的に抱かれた表象は事実的に信じられる必要はないが、事実的信念のなかに埋め込まれなければならない。半命題的な表象的信念を抱くことが合理的になるのは、信念の源泉が信頼しうるかどうか、つまり源泉にかんする事実的信念による。
付録,
 心理的処理にあたって刺激を基礎命題のかたちで同定する「知覚装置」、この命題を入力として受け取り呼び起こされた記憶から他の命題を出力する「象徴装置」、命題の入力から論理的に他の命題を導出する「理性装置」を区別する(205頁)。知覚装置のが他の二つに命題を入力するやり方はいくつか考えられるが、円環処理を追加して理性装置から象徴装置へ回るものが選ばれるべきである。
 「象徴的処理」(「象徴的呼び出し」)は長期記憶から前提を引き出す限りにおいて「理性的処理」(演繹の前提)に貢献する一方、「象徴的処理」はあらかじめ最小限の「理性的処理」を要求するとされている(213頁)。象徴表現には、刺激の「選択」と「方向性」という特性が伴い、理性装置が知覚装置からの入力と当座の情報から十全な綜合を作り上げられないとき、補助前提を求めて長期的な記憶の検索が行われる。これが「象徴的呼び起こし」であり、それは文脈の関数である(223頁)。