表象は感染する

 というわけで、『関連性理論』の前後の邦訳のあるダン・スペルベルの単著を読んでみた。この人首尾一貫して同じ問題意識で考えており、それがだんだん洗練されて行っているのがよく分かる。しかし、この領域横断的な発想法には正直、舌をまく。私は、立場上、彼の発想を支持してよいものか逡巡してしまうけれど、とりあえず、面白いことだけは確実。
 人類学者が手にしているのは「解釈のための道具」である。たとえば、「婚姻」という概念は、なにか共通の一般的な特質を見いだせるようなものではなく、一種のリマインダーとして働く、解釈上の類似性を示すものである。文化的事象には、心的表象と公共的表象(発話等々)が関与している。
 人間の個体群には多数の心的表象の個体群が宿っている。これらは送り手により公共的表象に変換され受け手によりふたたび心的表象に変換される。ではある表象(神話等々)が人間の個体群に蔓延するのはなぜか(制度)。これを解き明かすのが一種の「表象の疫学」である。たとえば、生活に関連性のある事例はそれだけ関連性を持ち、慣習の遵守は、たとえ効果がなくても、危険から身を守る。
 一連の表象は解釈であり、公共的表象と心的表象は互いに互いの解釈となりうる。表象の内容の類似性は観点とコンテクストで変化する。表象はコミュニケーションの過程で関連性を最適化するように解釈をうけ連続的に変形していく。慣習が特定の内容を持つのはその結果である。
 人間にはメタ表象能力(解釈)があり、これが知識や観念のレパートリーを拡張する。新しい情報について百科全書的記憶を呼び起こして関連性のある理解の文脈を構成すればよいわけだが、こうした解釈を受け付けない表象は神秘的な性格を備えるようになる。
 心的表象には「直観的信念」(「基礎概念」)と「反射的信念」があり、前者は推論装置の働きで知覚から導出され、後者は直観的信念に埋め込まれ表象の表象として信じられている。科学性や神秘性を持ちうるのは後者である。直観的信念はおおよそ共通するかたちで分布し、反射的信念(たとえば、神話)はそれぞれ異なるかたちで分布する。これは、記憶の容易さや魅力、語り部(年長者)への信頼によって広まっていく。というわけで、反射的信念は、たとえばドーキンスミームで考えたように進化論的に広がるというよりは、「誘因子」のようなものがあると考えられる。
 さらに、スペルベルは、フォーダーの議論をとりあげ、知覚過程のみならず概念装置もモジュールから説明できることを示そうとする。

いずれも絶版みたいですがーーー。

表象は感染する―文化への自然主義的アプローチ

表象は感染する―文化への自然主義的アプローチ

精神のモジュール形式―人工知能と心の哲学 (1985年)

精神のモジュール形式―人工知能と心の哲学 (1985年)

 で、次の本がこうなるのもよく分かった。
Metarepresentations: A Multidisciplinary Perspective (Vancouver Studies in Cognitive Science)

Metarepresentations: A Multidisciplinary Perspective (Vancouver Studies in Cognitive Science)

http://www.jstor.org/stable/2802222?seq=1#page_scan_tab_contents