象徴表現とはなにか

 この本、通読した印象がないというか、ほとんど内容がアタマのなかに残ってないんだけど、最後まで線が引いてあったから読了していたらしい。だったら、なぜ気づかなかったんだろう。関連性理論の原型はほとんどここに出ているではないか。しかし、象徴の「動機づけ」って何だろう。これテクニカル・タームだけど何に由来するものだろう?「有徴」とは違うし。ときどき、こういう変な訳がある。
 「象徴装置のいくつかの基礎原理は、経験から帰納されるものではなく、逆にそれらは、経験を可能にする生得の、心の装備ではなかろうか」(12頁)。

象徴現象は記号ではない。象徴現象はその解釈と組み合わされてコードの構造をなしはしない。象徴現象の解釈は意味作用ではないのである。

 他方、象徴表現の理論にとって最初の課題は関連性をもつデータを画定することである。「象徴表現は大部分が個人的なのだ」(142頁)。百科全書的知識はカテゴリカルな意味論的知識と対立して世界にかかわる。他方、象徴的命題は百科全書的命題のように整合性を追求する必要はない。象徴命題は引用符をつけて表象(信念や文彩として百科全書的全書的知識に登場すし、文化と個人で変わりうる注釈が伴う。象徴的知識は表象の対象にではなく、表象を対象にする。

それゆえ概念的表象には二種類の命題の集合が含まれる。一つは新しい情報を記述する。いうならば焦点命題。二つは新しい情報と百科全書的記憶を結びつける補助命題。もしも前者が記述に失敗するか、後者が結合にしくじるなら、新しい情報を既得の知識に統合することができない(181頁)。

 とはいえ、新しい対象は創造されており、これこそ概念的表象そのものであり、これは第二次表象の可能的対象である。「ある概念的表象が自己の対象の関連性を確証しそこなうときには、この表象そのものが表象の対象になるのである」(181頁)。これを引き継ぎ関連性を確証するのが象徴装置である。
 記憶情報は再認か想起によって引き出される。象徴の情報的処理は、焦点合わせと記憶の呼び起こしにより行われる。知性は新たな情報の表象を焦点化し能動的記憶と結びつけ受動的記憶に蓄える。両者の中間に二つの連言から演繹できる補助命題がある。しかし、能動的記憶と結びつかない場合は、新たな情報が括弧入れ(引用符)され、この充足されない条件が焦点化し受動的記憶の呼び起こしがはじまる。しかし、この行程は規定されない。情報の背景を想起あるいは想像力によって再構成する。たとえば、匂い、イロニー、世界のイメージを呼び起こす信念。
 概念装置に必要なもの:①入力(知覚像/記憶された情報)、②意味論的カテゴリーの体系、③能動的記憶、④百科全書の記事。概念的表象は能動的記憶に移動し、さらに場合によってはその痕跡が受動的記憶に移動する。これがうまくいかなかった場合、概念的表象は引用符で囲われ、象徴装置の入力になる。①焦点構造の修正(充足されない条件へ)、②充足されない条件を求めて受動的記憶を呼び起こす。