21世紀の資本

第10章

 富の格差、ないし資本所得の分配は、労働所得の分配よりもずっと集中しており、どんな時代のどんな社会でも人口の貧しい層の下半分は、実質的には何も所有していない。一方、富の階層のトップ十分位は所有可能なものの大半を所有している。人口の残りの人々、つまり中産階級が出現し、国富の5〜35パーセントを所有するようになったのが長期的に富の分配を左右した最も重要な構造的変化である。では、それはなぜ生じたのか?
 フランス。18世紀末に相続性と贈与税が創設されている。「1914ー1945年のショック以前には、資本所有の格差に目に見えるような減少傾向はないということだ。それどころか、19世紀を通じて資本集中は少し高まる傾向にあり、1980ー1913年には格差スパイラルが過疎暮らしている。富の階層のトップ十分位は19世紀初めにすでにすべての富の80から85パーセントを所有していた。20世紀に入った頃には90パーセント近くを所有していた」(354頁)。これは年齢コーホートごとに見ても同じことが言える。フランス革命に始まる変化はさして大きなものではない。イギリスをはじめスウェーデンなどヨーロッパ各国にも同じような現象を見いだすことができる。
 一方、「富の集中は、富からの所得の集中同様に、1914ー1945年のショックからいまだ完全に立ち直っていない。国富のトップ十分位のシェアは1910ー1920年に90パーセントあったが、1950ー1970年には60ー70パーセントに落ち込んだ。トップ百分位のシェアはもっと急激で、1910ー1920年に60パーセントから、1950ー70年には20ー30パーセントに落ち込んでいる」(360頁)。「大きな構造的変化は、人口のほぼ半数がを占める中間階級の出現であり、それは何とか自分の資本を獲得できた個人によって構成されているーその結果、かれらは集団として国富の4分の1から3分の①を占めるにいたった」(361頁)。
 米国。「1800年前後の米国の富の格差は1970−1980年のスウェーデンよりも大して高くない。米国は新しい国で、その人口の大半がほとんど何の富も持たずに新世界にやってきた移民だから、これは驚くにあたらない」。「19世紀をつうじて米国の富が次第に集中してきたのは、確固たる事実だ。1910年の米国の資本格差は、ヨーロッパよりずっと低いとはいえ、かなり高くなっていた。トップ十分位は国富の約80パーセント、トップ百分位は45パーセント程度を所有していたのだ。興味深いことに、新世界の格差が、旧世界ヨーロッパの格差に追いつきつつあるという事実を見て、当時の米国の経済学者たちは大いに懸念した」(362頁)。「1910ー1920年の米国で、とても高率とされた累進所得税とともに、莫大な財産に対して非常に累進制の高い相続税が先駆的に導入された」(363頁)。「米国での富の格差は、所得の格差同様に、1910年から1950年の間に低下したが、ヨーロッパほどではなかった。これはもちろんもともと格差が小さく、戦争によるショックがそれほど激しくなかったためだ」(364頁)。
 「伝統的農村社会と、第一次世界大戦以前のほぼすべての社会で富が集中していた原因は、これらが低成長社会で、資本収益率が経済成長率に比べ、ほぼ常に著しく高かったことだ」(365頁)。「たとえば成長率が年約0.5パーセントー1パーセントと低い世界を考えよう。18、19世紀以前はどこでもその程度の成長だった。資本収益率は一般的に年間4、5パーセントほどなので、成長率よりもかなり高い。具体的には労働所得がまったくなくても、過去に蓄積された富が経済成長よりもずっと速く資本増加をもたらすわけだ」(366頁)。「さて実は、このような条件はなぜか歴史上無数の社会で見られたものだし、特に19世紀のヨーロッパ社会では顕著だった」(366頁)。
 純粋な資本収益率は、歴史を通じて常にグローバルな経済成長率よりも明らかに高かったが、これら二つの差は20世紀、特にグローバル経済成長率が年3.5ー4パーセントだった20世紀後半の50年近くに大きく縮小した」(269ー270頁)。「このような文脈では、資本に対する課税が中心的役割を果たすのはすぐわかる。第一次世界大戦前は、資本への税率はとても低かった」。「第一次世界大戦後にはトップ所得、利潤、財産に対する税率は急上昇した。しかし1980年代以降、金融グローバリゼーションと、国家間の資本競争の激化の影響で、イデオロギーの風向きが激変し、これらの税率は低下し、場合によってはほぼまったく課税されなくなった」(370頁)。「まとめると、r>gという不等式は、第一次世界大戦直前まで、人類の歴史の大半を通じて明らかに事実であり、おそらく21世紀も再び事実となるだろう。でも、この事実は、資本を左右するショックと、資本と労働の関係を調整するために導入される公共政策や制度に左右される」(373頁)。
 
  この資本収益率は相対的におおよそ4〜5パーセントに安定性しており、その説明として「時間選好」というが概念が採用されることが多い。しかし、これでは、たとえば、一定の時間選好を所与とすると資本純収益率が変化しなくなってしまう。成長率の上昇にあわせて時間選考を変化させると同じように資本収益率が上昇することになり現実にあわない。また、「完全」市場下だとr<gだと所得が借金の利率より多くなるので投資するより借金しても消費に回した方が合理的だということになり、とても合理的だとは言えないが、逆にr>gがもっともらしいということは言える。一方、「裕福な人の資産が平均所得よりも急速に増大すると、資本/所得比率は無制限に上がり続け、長期的には資本収益率が下がることになるが、このメカニズムが働くには十数年以上かかる。
 「富の格差を一定レベルで安定させる唯一の力は、次のようなものになる。まず裕福な人の資産が平均所得より急速に増大すると、資本/所得比率は無制限に上がり続け、長期的にはそれで資本収益率は低下するというものだ。でもこのメカニズムが働くには数十年かかるし、19世紀と第一次世界大戦前夜までのイギリスやフランスのように、裕福な人が外国資産も蓄積できるような開放経済ではなおさらだ」(376頁)。均衡分布がこの格差の大きさを説明する。
 もちろん、「さらに、人口上の選択と、相続法も重要な存在だ」(377頁)。フランス革命民法典でフランスでは長子相続性が廃止され、兄弟姉妹間の資産均等分布が採用された。しかし、格差の縮小にはさして貢献しなかった。「資本収益率が成長率を継続的に上回ると、富の蓄積と移動の動学にによって分配は自動的に極度に集中へと向かい、ーーー平等な分かち合いはそれほど関係なくなってしまうのだ」(379頁)。格差の均衡水準は資本収益率と成長率の差r-gの増加関数になる。この差は平均所得がすべて再投資に回されたら、資本所得がどれだけ平均所得から乖離するのかという率をあらわしている。この長期的な均衡分布はパレート分布の係数になる*1。「具体的には、もし資本収益率と経済成長の差が19世紀フランスで見られたほど高ければ、富の累積動学によって自動的に富は極度に集中し、通常トップ十分位が資本の90パーセント程度、トップ百分位が50パーセント以上を所有することになるということをこのモデルは予見している」(379頁)。「理論モデルによると、もしも資本収益率が年間5パーセント前後なら、成長率が1,5〜2パーセントを超えるか、資本課税によって純収益率が3〜3.5パーセントに下がるか、その両方が起こらないかかぎり、資本集中の均衡値はさほどさがらない」。「最後に、もしもr-gがある閾値を超えると、もはや分配は均衡しない」(381頁)。
 「1914−1945年のショックに続いて富の格差がきわめて大幅に縮小した」が、というのも「資本は、戦争とその関連政策がもたらした強烈なショックを次々と被り、それにより資本/所得比率は激減した」(384頁)。また、当時の不労所得者はライフスタイルをさして変えず資本を取り崩している。それから、英仏では重要な役割を果たしていた外国資産が事実上消滅した。もっとも、富のある人ほど自分のポートフォーリを最も利益が高い機会に配分し直せる立場にあった。ヨーロッパでは戦後、資産の国有化も進んだ。
 というわけで、資本蓄積は何世代にもわたる長期的プロセスであり、「今日富が過去ほど不平等に分配されていない理由は、単に1945年以降まだ十分に時間がたっていないからだ」(387頁)。もっとも「今日では、民間財産全体が過去同様にほぼしっかり反映している。それなのに富の集中は以前のような高水準に戻っていない」。「最も自然かつ重油尾名説明としては、20世紀の政府が資本と所得に高い税率で課税を始めたことだ」(388頁)。「これに関連した重要な点として、資本所得に対する課税の効力は、資本の総蓄積を減らすのではなく、長期的な分配構造を変えるということがある」(389頁)。相続税と累進税。
 

第11章

 「今日の資本の一般的重要性は18世紀と大差ない。形が変わっただけだ。かつて資本と言えば主に土地だったが、いまではそれは産業資本、金融資本、不動産資本だ」(392頁)。「資本収益率が経済成長率よりも大幅かつ永続的に高いなら、(過去に蓄積された財産の)相続が(現時点で蓄積された富である)貯蓄よりも優位を占めるのはほぼ避けがたい。純粋な理屈のうえではそうならないこともあり得るが、この方向へと後押しする力はとても強力だ。r>gという不等式はある意味で、過去が未来をむしばむ傾向を持つということだ。過去に創出された富は労働を加えなくても、労働に起因する貯蓄可能な富より自動的に急速に拡大する。これはどうしても、過去に生み出された格差、ひいては相続に、持続的に過大な重要性を与えがちになる」(393頁)。21世紀が高資本収益の時代になる傾向が見られるが、19世紀と同じになることはないだろう。富の集中はそれほど極端ではなく、労働所得の階層が拡大している(スーパー経営者)。
 長期的な相続フローの動向をみてみると、19世紀のフランスでは年間所得の20ー25パーセントを占めていた。1910年から1950年の間に著しく減少したが、その後回復し、1980年代に加速した。相続フローを見ていくにあたって、税務フローと経済フローのそれぞれか考えることができるが、ここでは国際比較のために後者を採用する。経済的な相続と贈与の年間フローの国民所得費byは、以下の式で示せる。死亡率m、生存者一人当たりの平均財産に対する死亡時の平均財産の比率μ、資本/所得比率βとして、   by=μ×m×β。 
 相続フローが高くなるのは、資本/所得比率βは高いとき、死亡率mが高いとき、死亡者の平均財産が生存者平均財産μが高くなるときであり、高齢化につれて試算が増加する割合が高くなるとμも高くなる。資本/所得比率βはU字曲線を描く。平均余命が延びており、第一次ベビーム世代高齢化と人口減少は相続フローを高める方向にはたらく。ただ、長寿化で相続が遅れると、生前贈与の重大性が増すし、手にする資産額も増えるので、μ×mはあまり変わらない。
 平均生存次財産と平均死亡時財産の比率μは、フランスでは、1940ー1950を除き100パーセントより大きい。高齢者は資産を食いつぶして生きる(モジリアーニの三角形)よりも、子孫に財産を存続させたがっている。たとえば。この2世紀、生前贈与がとても重要であり、過去数十年に激増している。ちなみに、生前贈与は死亡の10年前に不動産投資という形でおこなわれるのがほとんどである。
 「19世紀を通じて資本が次第に集中するにつれ、資産が非常に高齢化している」(408頁)。この高齢者の富裕化のメカニズム(指数関数的な蓄積)は前章で説明したとおり。これが両大戦の結果、富が大幅に若返る。資本/所得比率βが減少し、後続世代はあまり多くを相続できなかった。一方、若い世代はもともと失うものがほとんどなかったのでこのショックからすぐに回復した。しかし、このような時期は長く続かなかった。1950−1960年の間に資本/所得比率βが上昇し、資産も高齢化し、平均生存次財産と平均死亡時財産の比率μも高くなった。そして、21世紀の相続フローのシミュレーションしてみると21世紀には相続と贈与のフローはかなり大きくなると予想される。もちろん、予想は不確実である。しかし、起こりそうなことではある。これまでみると「貯蓄率は所得と最初に所有している財産に比例して増加する」。この先も「大ざっぱに見て、人は平均で年齢とは無関係にほぼ同じ率で貯蓄すると仮定していい」(415頁)。「理論的には、成長が収益率よりも低い時は、大半の貯蓄行動にとって、μの増大がほぼ完全に死亡率mを相殺し、それによって積μ×mは平均余命とは実質的に、無関係にほぼ完全に世代間の間隔によって決定されることが示せる」(416頁)。
  年間相続フローの国民所得比が描くU字曲線は、蓄積した相続財産ストックの国富比が描くU字曲線と密接に連動している。この二つの曲線の関係を理解するうえで、、相続フロー水準と貯蓄率(おおよそ10パーセント)を比べるのが有益。19世紀では相続フローが国民所得の20−25パーセント。1950年代のように相続フローが国民所得の5パー生んと、新規貯蓄率の半分になれば、著しく資本が相続資本より有益になる。しかし、1980年代には再び年間相続フローが貯蓄率を上回っている。
 19世紀からの第一次世界大戦コーホートを見ると、生涯所得の4分の1が相続で労働所得が4分の3になるり、相続フローよりも少し高い。1870代以降に生まれたコーホートでは相続のシェアが次第に減少する。19世紀に最も裕福な相続人1パーセントが生涯通じて獲得できる資産は、下層階級(下位50パーセント)の資産の25から30倍。1910−20年生まれの世代では、相続のトップ1パーセントは下層階級の5倍程度の資産を保有しているに過ぎない。他方、最も稼ぎのよい仕事に就いた1パーセントは基準値の10ー12倍を稼いでいる。1910年から1960年に生まれたコーホートにとって所得階層のトップ百分位の大部分を占めていたのは、仕事を主な収入源とする人びと、エリート層だった。1970年代生まれのコーホートはまったく異なり、社会階層のトップ百分位は相続財産と自らの労働からほぼ同額の所得を得ていることが多い。社会階層の頂点で相続資本所得が労働所得よりも大きな割合を占める社会では、まず資本所得中の相続シェアの資本が大きくならなければならない。資本/所得比率は6、7倍で、資本ストックがほとんど相続財産で構成されている。さらに、相続財産の極端な集中。これは18、19世紀の状況。実力主義信仰は相続に起因する格差に比べれば理にかなっていると考えられがちである。たとえば、スーパー経営者、あるいは仮想と中流階級の格差の説明。
 1970年代以降に生まれたコーホートにとって相続は生涯総資産の約4分の1を占めている。しかし、富の非常に大きな分散と世襲中流階級の出現で資産は19世紀よりもはるかに小さくなっている。教育の役割はずっと大きくなったが、それは社会が能力主義的になったということではない。労働に支払われるシェアは増えたわけではないし、誰もが様々な技能を取得する機会に同等にアクセスできるわけでもない。教育格差は学歴の情報に移動しただけで世代間の移動が増したという証拠はない。相続資本の分配がが変わっただけで、相続は終わったわけではない。とても裕福というわけではない不労所得者が多数いる社会の到来。。
 

第12章

 裕福な人たちがそうでない人たちよりも高い平均収益率を手にする可能性は十分にある。リスクをとったり専門家のアドヴァイスを受けることができる。これに拮抗するものは成長である。「1980年代以降、世界の富は平均して所得より少し早めに増加しており、最大の富は平均資産よりはるかに急速に増加している」(451頁)。「2010年代の世界的な富の格差は、1900ー1910年のヨーロッパの富の格差に匹敵する」(454頁)。トップ千分位450万人程度で世界の富の約20パーセント、トップ百分位4500万人は約50パーセントの富、トップ十分意が80−90パーセントを所有している。ある閾値を越えると巨額の財産は総じて成長率が高い。これが年次累進課税の主な理由付けになる。大学を見ても。
 インフレは不労所得生活者の敵だが、たとえば、株や不動産といった実物資産に投資すれば、インフレの影響を回避することができる。「インフレが招く再分配はは、主に最も裕福でない人には不利益に、最も裕福な人には利益になる。ソブリン・ウェルス・ファンドは、億万長者たちと同じく、世界の民間総資産の1.5パーセントを所有しているが、とりわけ石油輸出国のそれがシェアを増やすことは避けがたく、他国の資産の相当部分を所有するようになる可能性もある。中国のような新興国の急成長は先進国と同じ水準になれば終わる。オルガルヒ型格差の拡大、つまり、世界の大富豪に国の資産を所有されるようになること。また、世界の金融資産の大部分はタックス・ヘイブンに隠されている。

 

21世紀の資本

21世紀の資本