21世紀の資本

第16章

 政府の支出は税金と負債からなる。先進国は民間資産が大きいけれど公的債務も大きい。公的債務削減のためにできることは資本課税、インフレ、緊縮財政の三つの組み合わせ。国富の大半は民間が保有しているので、公共資産の払い下げ、民営化も考えられないわけではないが、これはまともに相手にすべき問題ではない。考えられるのは民間資産への一時的な特別税。これは予想がつきにくい公的債務の踏み倒し・デフォルトとは異なる。たとえば、キプロスギリシア。銀行の破綻。本来責任をとるべき者が責任をとるとは限らない。資本課税による解決の主要なメリットは、各人に要求される貢献のを財産の規模に応じて調整できる。
 インフレ。最も大規模な公的債務は歴史上この手法で削減された。しかし、累進資本税の代替としては不完全であり、マイナスの副作用があり、粗雑で厳密さを欠く。ただ、「資本税は他のどんな税金とも同じく、人々が有益に使えたはずのリソースを奪うことになるが、インフレは主に自分のお金をどうしていいかわからない人々に損失を与える」。
 金本位制廃止の欠点。以降の中央銀行には貨幣発行能力が無限になってしまうので厳格な規制が必要。「絶対的なパニックに際して、金融システムの広範囲の崩壊を避けるために必要なだけの流動性を作り出されなければならない」(576頁)。フリードマンの『米国金融史』。「唯一必要なのは、きちんと運営された連邦準備制度だけなのだ」(577頁)。もっとも、こうした連邦準備制度はきちんと機能する社会国家や累進課税政策を補うかたちで機能できる
中央銀行は富を再分配する。中央銀行が行うのは常に融資であり、それが金融資産と負債を作り出す。だが国民資本に即座に影響はしない。「中央銀行の弱みは明らかに、誰がいくらどのくらいの期間融資を受けるべきか決める能力がかぎられていることと、結果として生じる金融ポートフォリオの管理がむずかしいことだ。この影響のひとつは、中郷銀行のバランスシートの規模がある限界を超えられないということだ」(580頁)。銀行規制と資本課税は相補的。ヨーロッパの現行制度の欠陥。トロイカ欧州委員会、ECB、IMF)。
 「中央銀行の中心的な不可欠な役割は、金融システム安定性の確保」。南欧での金融危機、公的債務危機と銀行危機の両方がからんでいる。キプロスの例。銀行預金に課税した。累進制がない。課税ベースを定義しなかった。逆進的に機能する。中央銀行や金融当局は自分たちが引き起こす再分配の標的を定める能力がかぎられている。この点で、累進資本税は有用である。
 ユーロ、国家なき通貨。ECBは他の中央銀行よりも制約されており、インフレ抑制が最優先されており、国債の購入もできない。世界金融危機以降、金利が乖離しだした。金利をめぐる投機(融資増加)。
通貨発行件の喪失は低利での借り入れの保証で補われるべきだった。公的債務のプール。そのためには民主的に選出されたヨーロッパ議会に権限を与える。累進資本税の導入。企業利潤。居住地原則。税制競争の回避。
 公的資本、総国民資本の理想的な水準とは。資本の上限は蓄積過剰で、資本収益率rが成長率と等しくなったときである。資本蓄積の黄金則r=g。このとき資本の国民所得に占めるシェアは貯蓄率と同じになる。生産性の成長がなく人口増だけが経済成長の源泉ならこれも一つのやり方であろうが、考えにくいし、簡単なのは不労所得生活者に課税することだ。生産性の成長がある場合、現在どれだけ消費し、将来のためにどれだけ資本の蓄積をすべきか?
 EUのマースリヒト基準、それよりも、ユーロ圏が予算会議を作り、加盟国の財政赤字水準を決めて協調する。気候変動による自然資本劣化。そのための教育資本の増額、公共投資。財産や資本への新たな民主的コントロール。参加者それぞれの経済情報の提供。経済的透明性。課税目的のみならず民主的なガヴァナンスのため。民間企業の口座の詳細の公開。企業の意志決定に介入する権利。 
 
 量はありますが、それほど難しい本ではありませんでした。もちろん、初歩的な経済学の知識ぐらいあった方がよいですが、本人が説明してくれているので、丁寧にそれをおっていけば経済学がろくにわからなくても読めると思います。
 単純には、話題になった「不等式 r>gは、過去に蓄積された富が算出や賃金より急成長することだ」(602頁)。つまり、給与所得よりも不労所得(資本所得)の方が実入りがよいということですね。そして、これが第一次世界大戦後から1970年頃までを例外としてずっと続いている。だから、ピケティは資本税の導入をというわけですね。すぐにできることとしては、キャピタル・ゲインの課税率が低いですから、これをみなおして累進課税にするというのはありではないでしょうか。
 それから、近年の英米圏から拡がる経営者の報酬の増大ということがあります。たとえば、日本ではカルロル・ゴーンの報酬を見れば、それが桁違いだということがわかるでしょう。しかし、これは能力に見合った評価でしょうか。例えば、日産とトヨタを比べたら。しかも、こうした傾向は近年生じたものなのです。経営者の法外な報酬に対して累進的な所得税を入れるべきだというのもピケティの主張です。
 そして、これが現代の資本所得を多く得ている層でもあります。しかも、日本では資本所得の多い年収1億円を越える層になると課税率が下がます。相続税も課税率が下がっています。つまり、日本は給与所得よりも資本所得(不労所得)に甘い社会なのですね。ですが、議論はもっぱら給与所得に集中しがちなように思えます。しかし、問題の本質はそこにはないといった方がよいでしょう。
 読んでみると、格差格差と騒いでいたピケティ騒ぎがよくわからなくなります。彼の議論の面白いところは、むしろ過去のデータをあらって、今後の資本主義社会の望ましいあり方を考えようとしているところだと思いますし、そこから、日本でいまできることは何かを考えるヒントを得ることだと思います。たとえば、他にこんなことは言えるでしょう。やはり低成長でも経済成長は望ましいと言えると思います。軽度のインフレもデフレよりはずっと望ましいと思います。一方、日本の雇用差別の問題はここでは扱えませんね。
 

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