繭の中のユートピア

 これも再訪。やはりついて行けない部分があるのだが、こっちの方が好き。「現代化とともに、商品化の貫徹、虚構化の浸透、疎隔化の徹底という過程が、恋愛を解体する力として働く」(76頁)。

第一に、商品関係が愛の関係の内部に浸透し、その条件と限界を形成することによって、恋愛にも対象関係の代替可能性が導入される。好みの商品項目を取り替えるように、愛する私も不確かな他者を比較さら、その経験は特殊な愛の絶対性を失う。
第二に、リアリティの虚構化が、魅惑の体験を剥ぎとっていく。いまだ完全には知りえず、理解しえないもののみが、私の想像をひきつけることができる。したがって、魅惑する人は、未知な神秘を内に含み、私の探求を誘う存在としてあらわれなければならない。
段差員に、関係の感情的な疎隔性がさらに広がると、それはついに他者への願望じたいを失わせる。

 虚構化する世界の部分。書かれたのはもちろん地下鉄サリン事件の前。しかし、与野かがここまでくると、やっぱり違和感を感じる部分があるなー。リアリティの変容にあわせて三つのアイデンティティの変化が考察されているのだが、私には前者二つが同居したような現象を目の当たりにしているような気がするし、三つ目にはいまや天野氏が考えたのとは違った展開を見せているように思えるのだが。
 「第一の様態〈稀層化〉は、関係意識の疎隔性においてあらわれる」(96頁)

自己との関係では、みずからの身体と乖離し、役割距離の隔たりにおいて、いつも明晰に意識された演技をあやつる。そこで、自己もまた異和的な他者として感受される。
他者たちとの関係では、人々とのかかわりを遠ざけ、その距離を保つことを規範にする。直接の接触はつねに脅威として避けられ、それを願うときにさえ、畏怖のバリアに妨げられる(100頁)

 第二の様態〈溶融化〉は近接性と関わる。「もうひとつのリアリアティは、想像が現実と融けあうところにあらわれる。それは関係意識の過剰な近接性と結びついて、対象世界の構成を自己の想像のうちに溶融する」。「このようなとき、世界は奇妙な近さをおびて現出する」(104頁)

このようなアイデンティティは、自己との関係にも密着的になる。それは(疎隔性とは対照的に)役割演技をあやつる距離をもたず、それぞれの役割をそのまま自己と融けあわせる。したがって、彼らは好みにあわない仮面を演じることはない。かわりにその仮面をすて、顔を隠して社会から遠ざかる。
 だがこの脱出とともに、自己はすべての世界を近みへとひきよせ、想像で潤してよみがえらせる。想像的な溶融化は、リアリティにさだかでない不安をもたらすが、それは同時に想像によって世界を再生する自由をもあたえる(107頁)。

 第三の様態〈変幻化〉は、異次元の隣接性という最も特異な関係意識と関わる。
そして、「虚構化は、リアリティの固定性を緩め、存在の偶有性と世界の多義性を意識する。それとともに、自己は社会的な行為への関与を変えていく」。「虚構化の進行は、社会的な諸関係からその確かさを侵食する」(130頁)。
 

繭の中のユートピア―情報資本主義の精神環境論

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