共同存在の現象学

 III部はカントを中心として、何人かの哲学者の議論を吟味しながら、II部の議論をさらに進めることになってるのかな。人間が自らを自らによって拘束する自己目的として把握されるのは、そのようにして関わる他者の存在が想定されているからである。

尊敬さるべき自己目的と人間を規定することが、第一義的に意味しているのは、自身のうえに立つ個-人として人間を基礎づけることではない。互いに関与しあう人格の自立的な関係を基礎づけることなのである。一者は相互的に、つまり他者をつうじて、尊敬さるべき自己目的として承認される(345頁)。

 そして、誰かを信頼するとは、そのような共通の関係を想定することなしにはあり得ないから、片方が人格であることの要求は他方が人格であることの要求とあわせて普遍化されている。信頼の話はジンメルもしていたな。

信頼は共同相互存在を前提としており、信頼する一者は、自分が存在し、その者を信頼している場合には、すでに或る他者を、つまりその者と共に一者が存在し、その者を信頼している他者を前提にしている。そのかぎりでは、この共同相互存在はいずれにせよ「存在しなければならない」のである。---。信頼を欠けば、一般にどのような真に人格的な関係も存立しえないからである(348頁)。

で、IV部で、唯一無比の〈私〉を取り上げることになるが、基本的には関係の欠如というところから説明される。これは、ジンメルが孤独を説明するやり方とよく似ている。

すなわち、比較することのできーない、分割でき-ないありかたという概念の有する欠如的な意義において表現されるのであり、他方また一見積極的ではあるが、「唯一それだけで」ーあるという概念にあっても欠如的に表現されているのである。こうした表現は、一者と他者の根源的な連関から、欠如的なかたちで自立性を指示している(385頁)

共同存在の現象学 (岩波文庫)

共同存在の現象学 (岩波文庫)