自己の分析:鏡転移

 誇大自己は心的装置の他の部分から解離されてできたものである。「顕示的な衝迫や誇大な妄想は、このように隔離された分割され否認/抑圧されためめであり、これが現実自我の修正的影響を受けるということは非常に困難である」(129-130頁)。これにより生じる主要な心的不全として、
①原初的なかたちの自己愛的-顕示的リビドーをせきとめることにより緊張が生じる(心気的なこだわり、自意識、恥、、当惑の傾向が強くなること)。
②健康な自己評価の能力が低下し、活動や成功を自我親和的な楽しみとする能力が低下する。これは、自己愛リビドーが非現実的で無意識的あるいは否認的な誇大空想に結びついており、また分割/抑圧されている誇大自己の生の顕示性にも結びついているためである。
 分析の目標は誇大自己の抑圧/分割された局面を現実自我に統合することにある。「しばしば最後の強い周知と抵抗の高まりを伴って分析者に報告される空想が明らかに平凡でつまらない空想であり、分析者がこれをみてしばしば失望を感じる、ということである」(134頁)。しかし、それでも共感的理解に役立つ一方、強い抵抗にあう場合がある。それが、非社会的な行動化として現れることもある。分析者はここで解釈が必要になる。
 鏡転移の徹底的操作をつうじて分析者との粗大な同一化が見られるようになる。「こうして、選択的に両立しうる、好ましい分析者の職業的な脂質と技能が同一化過程のなかで患者によってますます同化されるようになる」(151頁)。「しかし、よく観察してみると、完全な構造変化が達成されているというようりも表面的な従順さが部分的につづいているだけということが明らかになる」(153頁)。いずれにせよ、鏡転移の徹底的操作が妨害されなければ誇大自己は結局次序に自我の構造に統合されていく。
 「分析者がこうした被分析者の自己愛要求をその時期-相応性のあることとして受容するなら、そのことが現実自我の次のような傾向に抵抗する。つまり現実自我が慢性的にもっている抑圧ととか隔離とか否認のような機制によって非現実的な自己愛構造から自信を壁によってさえぎる傾向に退行する」(159頁)。
①第1のグループには、あまり多くないけれども、その原始的な誇大自己が主として抑圧/否定された状態にある人びとが属する。ここでは心の水平分割が問題となるが、この水平分割は深いところにある自己愛エネルギーの源泉から来る自己愛栄養を現実自我から奪ってしまう。それゆえ、その症状は自己愛欠乏の症状である(160頁)。
②第2のグループは第一のグループより数が多く、多少とも修正されていない誇大自己が垂直分割によって心の現実的区域から排除されているような症例からなる。それゆえ、誇大自己はこの場合意識のなかにあると言ってもよいので、そしてまたいずれにせよこの誇大自己はこういうパーソナリティの人の多くの活動に影響を与えるので、結果としての症状へ影響は第一のグループで見られるのとはいくぶん異なっている。もっとも、外に現れた態度患者の態度は一貫性に欠けている。一方では彼らはうぬぼれが強く誇り高い。そして誇大自己の要求にもとづいて度を超した自己主張をする。他方で派、彼らはパーソナリティの深部に埋もれて近寄りがたいところの、静かに抑圧されている誇大自己を隠し持っているがゆえに、第一のグループの患者と類似した症状や態度も示すモノである」(160頁)。169頁の図を参照。
 分析者はつねに現実自己に働きかける。自己愛パーソナリティ障害では「深層に、まったく異なったパーソナリティ態度が並列的に存在していることを問題にしているのである。つまり、異なった目的構造、異なった快楽目的異なった道徳的美的価値をもった、それぞれが凝集的なパーソナリティ態度が並列して存在することを問題にしている。おのような症例の分析作業の目標とは、①意識的並びに前意識的に変わることなくある、自己愛的/倒錯的な目標と、②中心区域にああるところの現実的目的構造と道徳的美的規準、という両者の同時存在という心的現実をパーソナリティの中心地区に承認させることである」(166頁)。
 「分割された区域をほんとうに中心区域に相接するものとして患者が受け入れることはどんなにむずかしいか、熟知した分析者なら理解するだろう」。「一件逆説的だが、分割された区域の現実をほんとうに受け入れるときには、しばしば驚くほどの疎隔感を伴うものである」(167頁)。「誇大空想を現実的な自己の概念と直面させ、自己愛的-顕示的願望の満足に対して人生は限られた可能性しか提供しないことを理解させるのは苦痛にみちた過程であるが、この過程を刺激しその動きを維持するためには、鏡転移の諸形態のうちの一つが成立していなければならない」(174頁)。

自己の分析

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