『ヴィジュアル系の時代』

 http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20090615/p1 の続き。

 ところで、アイドルやロック・ミュージシャンに夢中になる女性ファンの登場については、その積極的意義を指摘する声がある。「けれども、ロックやロックンロールによってはじめて、少女たちが公の場で自分の気持ちを表現することができたのだという指摘をして、そこに「フェミニズム」の産声を聴こうとする人たちもいる」(渡辺131頁)*1。この点でとりわけ高く評価されているのがマドンナである。小泉はこの別著ではそれを以下のように確認している。

リサ・A・ルイスは、1980年代半ばのアメリカ合衆国で、マドンナやシンディ・ローパーらの熱狂的女性ファンたちが展開したコスプレ・サブカルチャーについて論じている。ルイスによると、このような女性ロックシンガーのようになりたい少女たちは、コンサートやファン向けのイヴェント会場で派「オーディエンスならびにパフォーマー」としの両者としてふるまうという。ここで、ルイスが女性ロックシンガーのコスプレ少女たちをたんなる消費者としてでなく、意味ある形式の生産者として捉えていることは注目すべきである(226頁)。
マドンナやシンディ・ローパーのコスプレファンの場合、彼女たちのアイコンである女性ロックシンガーにどれだけ似せるかどうかということはあまり問題ではなく、ファンは独自のセンスでコンサートに参加するのにふさわしい装いを選択している。また、そっくりさんコンテストに出場したり、誰か他人から写真に撮られたりしたいという動機からではなく、純粋にコンサートに参加したいという気持ち、そして自分自身のために装いたいという気持ちからファンはコスプレをするのだという(227頁)。

 だが、先述のジャニーズ系のファンは、どうもちょっと違った様相を示しているように思える。では、コスプレ少女についてはどうだろうか?小泉はここでは、よりはっきりと第二次ブームのコスプレ少女たちについて、その特定のバンドやミュージシャンに対する思い入れの薄さを記述している。

ある特定のバンドへの忠誠を誓うよりもむしろ、第二次ブームの少女たちは、複数のバンドのコスプレを器用にこなすことを自慢しているかにみえる。これは、第一次ブームの少女たちが「X命」だったのとは好対照をなす。
 それゆえ、第一次ブームのコスプレ少女たちにとってバンドメンバーの存在が「絶対」だったのに対し、第二次ブームの少女たちは「ヴィジュアル系」という枠組みにはまるかはまらないかについて、アーティストを相対的に評価する」。
「つまるところ、第二次ブームの少女たちが求めているのは、ウォナビーズにとってのアイコンとしてのバンドメンバーそのものではなく、彼女対が抱く「ダーク」で「神秘的」なヴィジュアル・ロックの使用覚醒会にぴったりくるキャラクターなのである。それゆえ、第二次ブームのコスプレ少女たち、つまり表現系のおたくは、派手な化粧や衣装をまとった男性ヴィジュアル・ロッカーを、アニメに登場する「キャラ」のように見ててて、自分たちの独自のヴィジュアル・ワールドを形成する素材とすることを主眼としているのである(232頁)。

 また、同著での以下の井上貴子の指摘から、ファンがやはり一種の分業を行っていることが推察される。とすれば、やはり競争を回避したり、ある種の内紛が生じたりすることがあるのではないだろうか?

コスプレ少女たちは通常自分のコスプレネームをもち、チームをつくる。各チームのメンバーは、コスプレしたいバンドのメンバーの化粧や衣装を見に透け、チーム自体が一つのバンドそのものであるかのように、ヴィジュアルの側面だけを再現するのである。ときには、複数のチームが集まるコスプレパーティが開催される。パーティでは、しばしば、どのチームがいちばん元のバンドに似ているかが競い合われる。すなわち、チームはいわゆるバンド的共同体、パーティーはそのネットワークにあたるわけである(152頁)。

 そして、やはり同著での室田尚子の以下の指摘は、中性的なイメージの強いジャニーズ系のアイドルにもつながるものがあるのではないだろうか?つまり、アイドルとファン同士がかぎりなく似た者同士になっていくのである。

少女にとって、みずからが性的な存在になるということは耐えがたい恐怖である。それはとりもなおさず、自らが男の性の対象となり、妊娠して出産する道具となることを意味しているからだ。そこから逃れようと、少女たちは美少年という存在を生み出した。少女マンガに登場する美少年は、みな女性的なヴィジュアルをもっており、それは少女の「理想化された自己像」にほかならない。耽美派ロック歌手たちもまた、化粧を施して派手な衣装を身にまとうヴィジュアルによって、少女漫画の美少年たちと同様の意味をもっている。しかも彼等は、あくまでも肉体的には男なので、妊娠・出産といった女が被る不利益から逃れることができる。つまり、少女にとって、美少年やロック歌手たちを主人公にした同性愛パロディ作品は、性の手前にいる少女たちが危険にさらされず、安心して楽しむことのできり「理想化された」性愛のファンタジーだったのである(180頁)。
だが一方で、彼らのなかに少女の「理想の男性像」を見る視線があることも指摘しておかなければならない(189頁)。

 そして、ここで確認してきたジェンダー差、ボクは縮小する方向にあるような気がするんだけれど、実際のところはどうなんだろう?

ヴィジュアル系の時代―ロック・化粧・ジェンダー (青弓社ライブラリー)

ヴィジュアル系の時代―ロック・化粧・ジェンダー (青弓社ライブラリー)

*1:この点については194頁以降の記述も参照のこと。

アイデンティティの音楽―メディア・若者・ポピュラー文化

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