北川純子編『鳴り響く性』

 これもお仕事読書。ポピュラー音楽って、女性のセクシュアリティを考えるうえで興味深い素材になりそうに思えるので、関連しそうな部分をメモしておくことにする。
 まず、ヴィジュアル系コスプレイヤーについて

彼女たちはコスプレ集会という場において、単に好きなアーティストになりきることのみならず、仲間との連帯感を強め、コスチュームに包まれた自らの身体を互いに見せ合い、カメラやプリクラに収めることによって自分の身体を確認している。この「身体性」とは、学校という制度の中では抑圧された女性としての身体性の回復、また女性/男性というジェンダー区分を超える新たな身体の希求、という両義性を持つ(52頁)。

 ロックが少女マンガとならぶ性愛ファンタジーを提供する点について

少年愛や男性同性愛の世界は、少女にとって、まさに、自らが痛みを引き受けずに済むユートピア的な性愛の装置だったといえるだろう。---。デヴィッド・シルヴィアン本田恭章が、激しい性愛の中に巻き込まれていく物語は、性の入り口で立ち止まりながら、なお一歩を踏み出せずにいる少女たちが、危険にさらされず、安心して楽しむことのできりう「理想化された」性愛のファンタジーだ(150頁)。
しかしそれは、少女自身のジェンダーセクシュアリティに「直接」「具体的な」作用を及ぼすことはない。なぜなら、「男性」同性愛である限り、それはあくまでも少女にとっては「ファンタジー」であり続けるからだ。少女のファンタジーセクシュアリティに「直接」「具体的な」作用を及ぼすのは、やがて少女が「女性」になった時、つまり自らが「性的存在」であることを受け入れたときに「現実に」体験する性愛である。その手前でとどまり続ける存在、その成熟を拒絶する存在、それこそ少女がなのであり、まただからこそ男性同性愛という「ファンタジー」を紡ぐことが可能になる。男性同性愛「ファンタジー」の受容と再生産のありようは、少女という存在を解きあかす重要な鍵なのである(151-2頁)。

 女性アイドルの地位の変遷について

70年代の、男性に愛されることを松「受け身の女性」蔵から、80年代には、みずから愛を謳歌する「能動的な女性」像が提示されたが、さらに、90年代に入り、もはや「恋愛」という「異性愛」を超えて、関心が自分自身の生き方に向かい始め、いわば「自己愛」を確認するために、アイドルを求めるようになっていった変化が析出された(175頁)。

鳴り響く性―日本のポピュラー音楽とジェンダー

鳴り響く性―日本のポピュラー音楽とジェンダー