ウィリー『17世紀の思想的風土』

 この時期恒例の思想史のお勉強の一環としてこの本を読む。古い本だが論点がきれいに整理されてとても有益。思想史の本でありながら、ねらいは同時代文学の歴史的背景を提供するという視座もユニークだし、一種の「パラダイム」転換を明らかにするような記述になっている。いいかえれば、本書でたどっていくのは、説明の意味論の変化だといってよいだろう。本書では、デカルトを転機にということでよいと思うが、どうすれば説明として受け入れられたことになるのか変化していく様が確認されていくのである。

17世紀に書かれたものを読むにあたって、われわれはそれらの著者が「新しい哲学」を有り難がったのは主として「説明」としてであったと感じる(2頁)。説明の明快さは説明が人にあたえる満足の度合いによるように思われる。説明はわれわれの本性のある欲求、何らかの保証を求めるある根深い欲求を満たすとき、最もよく「説明する」のである。「説明」とは当時一般に持たれている関心と前提のかたちで以て、何ものかを、即ち事件、理論、教理などを言い換えることであると多分大ざっぱに定義できるであろう(2頁)。

 たとえば、聖トマスとガリレオをつきあわせると次のような問題にいきつく。

天体についてのスコラ的学説において、われわれは、一つの信念が、(「首尾一貫している」とか、「矛盾がない」という意味で)形而上学的に「真」であり得るが、実験的には誤りである、即ち、所謂、「事態」なるものに符合しない、という奇妙な事実の一つの実例を見るのである(18-9頁)。

 この二つをきれいに腑分けしたのがベイコンである。

スコラ哲学者の中心命題である形而上的主張は真であったとしても、「事物」の領域における彼らの推論の多くは間違っていた。そして、まさにこの「事物」の領域内に、新しい時代の人たちは冷静に且つ不断に生きようと望んだのである。だから、先駆者たちは実験化学は形而上学とは別個のものだということをはっきり知っていた(31頁)。
われわれがベイコンから学びたかったと思うのは、「真理」とか「実在」といったような言葉の意味の分類であって、こうした言葉の意味は単一でなく多義なのだから、一つの種類の「真理」を肯定したからといって他の種類の「真理」を否定しなくてもいいのだということのはっきりした理解である(31頁)。
彼は真理は二重だということを主張するのに、特に意を用いている。即ち、宗教の真理があり、また科学の真理があって、この違った種類の真理は別個のものにしておかねばならないとしている(32頁)。

 たとえば、サー・トマス・ブラウンはこうしたベイコンの線に沿って聖書、ないしは信仰を擁護する。ブラウンが採用したのが、「一つは聖書を信仰の領域に委ね、それによって聖書を「理性」の追及から免れさせるベイコン的方法である」(70頁)。そして、「聖書の記述と彼の捨てがたい科学的真理とが相反する」「ような場合、彼は例によって寓意的解釈に帰り、「適応された言葉」の説にもどってくる」(80頁)。

 ところで、「17世紀における真理の哲学的探究の特徴は、もっぱら認識論の問題に関心があったことである。「実在」について何か知ることが出来るか、出来るとすれば、如何にして何を知ることができるか、問うのが絶えずつきまとう問題であった(93頁)。というのも、質量と、形状、運動などの物質の一次的性質とは違って、「感覚の所与」に与えられる色、温度、音といった二次的性質は当てにならず、「事物は外観通りのものではなく、今まで人びとに言われたきたようなものでないということが、次第に強く感じられてきた」(94頁)からである。「というわけで、感覚は、われわれに物自体の知識を伝えるものではない。抽象する知性のみがこうした知識に接近できるのだ。そのやり方は、感覚印象をふるいにかけて、主観的成分をできるだけきれいに取り除くことである。したがって、真の知識とは精神自体が一切寄与しなかった知識ということになる」(94頁)。
 ここで出てくるのがデカルトである。よく知られているように、デカルトは実在を「延長」(物体)と「思惟」(精神・霊魂)の二つに分けた。このとき、デカルトが、明証的に真なるもの以外は何も受け入れないために、出発点においたのがコギトである。「われわれが自分の精神ほど明晰に知覚しうるものは何もないということを確認する」(97頁)。「しかし、私は「思惟するもの」として、非物質的なものでなければならない」(96頁)。そして、不完全な私から完全、全能、永遠、普遍といった神の属性や神の観念を引き出すことができるのは、神という観念がいかなる観念よりも明晰判明であり、実在性を含んでいるからであり、神が実在するなら対象物の世界があることも私の臆見ではありえないという。

 このようにしてデカルトも二元論を採用するわけだが、その議論は、ベイコンのそれと比べると、ある種のひねりが加えられ、越境行為がなされているように思われる。というのも、神も「「数学的特性」によって説明されているからである。だから、当然、次のような指摘が出てくることになる。

われわれにとって「神は実在する」というのは、宗教的経験の中心をなす確認であって、この具体的経験に即しない抽象的な文句は、それにどのような意味があると主張しても、全然意義はあり得ないのだ。この神の存在証明は、実は知的でない手段によって「与えられた」(かりに与えられたものとすれば)ものを、知的方法によって証明しようとする試みのように感じられる(99頁)
即ち、デカルトの「神」も「我」も、ともに知的抽象であって、彼の「神」は、前述のごとく、真の宗教的経験の神とは縁のないものであり、彼の「我」は、たんに「我の思惟する部分」にすぎないのである。こうした実在を信じるというのは、結局、数学だけしか信じないことである。すべての明晰判明に考えられるものは「真」だという感じ方は、要するに物事は人間精神の法則に一致するように出来ていると仮定することになる(104頁)。

 他方で、デカルトにひそむ一元論的な傾向をつきつめるとホッブスにたどりつく。「ホッブスにあっては、「物体」のみが実在するというのが内奥の確信なのであった」(118頁)。
ホッブスが意識の諸現象を説明するために分離された実体とか「霊魂」を前提とする必要を感じなかった」(124頁)。これまた、よく指摘されるようにホッブスが描く機械論的世界観のなかで人間は自由意志を持たない。「人間は実際には自動人形であるというこの帰結は、いうまでもなく、「感覚」はそれ自体、物質の運動の一形態であるという説明のうちにすでに暗示されていた」(132頁)。このとき、信仰はどうなるのか?ホッブスによれば、「神々は最初、人間の恐怖のつくりだしたものであった」。「「異邦人たち」にとって、宗教は、かくして、「人間の政策の一部」だった。この説明において、宗教の存在が、文明開化の世の中になるにつれて当然消失しなければならない諸原因に帰せられていることが注目されよう」(137頁)。

 ホッブスのように極端な道を歩まなくても、デカルトが開いた道は、ケンブリッジプラトン主義者のような、信仰を理性的に説明しようという合理主義的神学の流れを産み落とす。「このような説明的な時代にあっては必然的に、キリスト教を「説明」し、その教義を「合理的」だと感じられるような言葉を用いて言い改める、つまり、実在に対する近代的基準に合致するように改める必要があった」(146頁)。たとえば、そのなかで、ハーバートのように「人間全体に共通な基本的な宗教的概念の発見」しようとする自然宗教の試みも生まれてくる。
 一方で、彼らは人間が神に由来する徳性ないし人間性を備えているということには疑いを抱かなかった。たとえば、ヘンリー・モア「にとっては、霊の実在は単なる知的確信を超えた一箇の体験であった」。あらゆるものに浸透している神霊の現前の意識は、彼が生まれながらにして備えていたものであって、ごく幼い頃から自覚されていたのである」(193)。「彼らが専ら強調した点は、霊に従って生きることにより、不断に自己を完成へと向上せしめていく個人の力であった」(166頁)。「決定因は体験であって、哲学はその合理化であった」(194頁)。

こうして、われわれは17世紀が真理の探求において二種の主たる確実性−一つは客観的外的、もう一つは主観的内的−を発見したことがわかってくる。外的世界に関しては、因果のからくりを明らかにするものが「最も真」であり、事物の性質のうち、数学的に表現出来るものが最も「実在的」であった。内的確実性は、すでにわかったように、主として信仰と倫理の領域に関するもので、ここでは真理とは「内なる光」とか「理性」とか「道徳観念」とか「本性と良識」といったようなものによって証明されるものを意味するようになった(92頁)。

 「こうした成り行きの結果は、詩の格下げとならずにはおられなかった」(105頁)。

デカルト以後、詩人は不可避的に、自分たちの構成物は真ではないと感じながら書くことになった。そして、こうした感情は、彼らの作品から、本来の真剣さを失わせてしまった(105頁)。だから、詩人に出来ることは、詩を及ぶかぎり真理と理性にあるようにするか(たとえば『人間論』のように)、それとも、虚構だということを十分意識しながら、快い空想にふけるかのいずれかであった(106頁)。

 たとえば、「スプラットは彼の時代のために、あらゆる形の詩的表現を、望ましからぬ「言葉のあや」として排除しているのである。これらの装飾物は、「最初は賢人たちに使用されて賞賛すべき道具であったに違いない。」つまり彼ら賢人たちは、道徳的、哲学的な教訓に衣装するためにそれを用いたのである(254頁)。しかし「「真理」はただ真の哲学のみの独占物であって、他のすべては、時代の観点からすれば、いつわりであり奇怪なるものであり得るにすぎない」(256頁)。
 そんななか唯一生き残ることができた詩の形式が叙事詩であった。

叙事詩の主題は、国民の歴史という劇のなかでのなにか大きな出来事に取られるのが普通であった。だから、ルネッサンスの特徴である、国民たることを新しく自覚した誇りと、偉業の愛好熱を、叙事詩によって表現することができたのだ。なかんずく、科学的な啓蒙時代においてすら、英雄詩がともかく不死身であったことの原因は、たとえ架空の物語を利用していても、またとりあつかる歴史が「いつわりになって」いても、英雄詩の目的が、「真理」そのものと同じほど重要なもの、すなわち徳育であったからである(264頁)。

 とはいえ、詩人もまた時代のこである。たとえば、『失楽園』を書いたミルトンにしても、

ミルトンは、心底まで「新教徒」であった。そしてこのことは、とりもなおさず道徳的な領域において、ミルトンが「実験者」であったことを意味し、「真実」ならざるすべてのものにたいして、自然哲学者がその領域においていだいたのと同じ軽蔑感をいだいたことを意味した(272頁)。しかし、まだひとつの、ただひとつの源泉がのこっていて、そのものから、この十七世紀の新教徒の詩人は、単に「詩的」であるばかりでなく、「真実」でもあるイメージや伝説をひきだすことができた。聖書が残っていたのである」(273頁)。
むしろ強調したいことはミルトンのヒューマニズムである。かれはそれによって、ルネッサンスやケムブリッジ・プラトン主義しゃたちとむすびつくからである。ここで言うヒューマニズムとは、ただ単に、然るべき訓練によって情熱が「正しい理性」にしたがっていさえすれば、人間には生来、尊厳と美徳がそなわっているという信仰をさしているのである(290頁)。

 17c末、18初頭にあって、「理性」と「信仰」を真理のもとに調停したのがロックである。ロックによれば、「われわれの持っているすべての観念は経験に由来し、経験はまた感覚と反省とから成り立っている」(337頁)。「知識は観念相互間の一致または不一致の知覚と定義される」(339頁)。このとき、

ロックの前提中、先ずあげねばならぬのは、疑もなく、われわれが実在と現実に接触するうちにわれわれの精神は観念をそなえつけられ、われわれは事物の精髄を吸収してはじめて賢明となる、という前提である」。「神は「刻印を押す」ようにわれわれの精神にいかなる「真理」をも押しつけているのではなく、われわれが知る必要があるすべてのものを発見するのに充分役立つ能力をわれわれに与えているのである(338頁)。ロックは「理性」そのものを「自然の啓示」と称し、それによって神はわれわれの持って生まれた能力の届く範囲内にある限りの真理をわれわれに伝える、とする(347頁)。

 ロックはデカルトと違って、「「思考」が霊魂の「本質」であることを認めようとせず、思考をむしろ精神の機能あるいは活動であるとし、それは働いていることもあれば、休んでいることもあるとする」(342頁)。外界については、「同様に、「霊魂」は精神の作用の下に横たわっている基礎体である。しかし霊魂の存在はわれわれはこれを直感的に確信するが、物質の実在性はこれを「想定」するにすぎない」(356頁)とされる。他方、神の存在は自然の摂理から明らかである一方、いわばその補助的手段として啓示があるとされる。「賢者や有徳者にとっては自然と理性とが「充分に神を立証する」のであるが、自然宗教は「大衆を説服するするだけの権威と持っていなかった、」そこで、「大衆の能力に「ふさわしい」ような、ある特別の啓示による是認が必要とされた」(352頁)。
 では、詩はどうなったか?たとえば、ホープのような詩人は「神話の擬人法とか、その他の道具立てを、それが「虚構」であることを充分承知の上で用いている」(365頁)。

それゆえ新しき詩人の採るべき道は二つに一つである。一つは、彼の精神や心情が目に見える宇宙と直接交わることから詩を作ること。いま一つは、彼独自の純正な新神話を作り出す(その際必ずしも古い材料を全部棄て去らなくてもよいが)ことである。キーツシェリーは、しばしば第二の方法に拠り、ワーズワースは典型的に第一の方法を採っている(366頁)。彼のもっとも積極的な信仰、科学的伝統に反撥して立ち上がるとき頼みとして信仰は、彼自らの詩的経験から彼が築き上げたものであり、まさにそれ故に彼は近代的状況の代表者なのである(367頁)。

 というわけで、

こうして18世紀の終わり頃には、自然の神性、神聖さは、この伝統に影響された人びとによっては、意識に対してほとんど真先に与えられる事実であった(378)頁。これら根本的信念の第二のもの、すなわち、人間の壮大と威厳、及び人間の心情の神聖さに対する信念についても、ほぼ右と同じことが言える(279頁)。

十七世紀の思想的風土 (1958年) (名著翻訳双書)

十七世紀の思想的風土 (1958年) (名著翻訳双書)