燐光群『サザン・アイランズ』

  日本、沖縄、フィリピン。この三つを二つのグループに括れといわれたらどのように括るだろうか?燐光群とフィリピンの国際交流プログラム『サザン・アイランズ』を見てきた。 
 三本連作上演で、一本目「虎の杖」では沖縄、フィリピンそれぞれでの基地について語る場面が交互に展開する。ご存じの人はご存じでしょうが、フィリピンの米軍基地は撤去されているのです。二本目「雪を知らない」は、沖縄のバーでダンサーをしているフィリピン人のもとに東京でお手伝いさんをしている姉が尋ねてくるというストーリーで、日本人客やバーのママを含めた日本語の会話と姉妹のタガログ語の会話で舞台が進行する。休憩をはさんだ三本目「コレヒドール」は、日本人観光客とガイドにやとったフィリピン人が第二次世界大戦の戦場コレヒドールを訪れたところで遭遇する騒動が展開していき、迷い込んだトンネルのなかで、場面が急に戦時に移行したり、いまだにを島を彷徨している(?)軍人に遭遇したりと、次第に異なる複数の時間の流れが迷い込んできては、舞台上で交錯していく。もっとも、これは前二本についても指摘できることではある。
 こうして複数の時間が交錯していくのを見ながら、ボクが何よりも感じていたのは、いままで考えたこともなかったのだが、フィリピンと沖縄ってかなり共通点が多いのだ。余所者である米軍と日本軍がやってきて、自分たちの土地が戦場になり、現地住民が巻き添えをくった。いずれも米軍の基地がある、あるいはあった。経済事情から出稼ぎにいかなきゃならないと等々。某国営放送でレイテ戦を扱った番組を放送していたけれど、あれと似ているところがあって、交錯していく時間のなかで、国境とは違った線が引かれていくのが見えてきたように思えた。