プライマリーバランス亡国論

 本書の結論を簡単にいうと「負債こそが成長の源泉である」。財政規律を重んじるべきと考える人からはマユをひそめられそうだし、同様にある種の人にはマユをひそめらる、そこには私も含まれる、育鵬社の本である。
 だが、直感的に考えると、景気の悪いときに企業は支出はもちろん、借金を抑えるし、政府は有効需要を創出するために借金をしても仕事を作る。逆に、景気がよければ企業は借り入れを増やすだろうし、政府は無理して公共事業を続ける必要はなくなるし、税収は増え歳入は増加するだろう。景気循環と企業と政府の借金の動き方を考えれば、これは極めて教科書的な出来事である。一方、財務省を中心に叫ばれているのはプライマリー・バランス(PB)、均衡財政とその実現のための消費税という話はこれとは整合しない。この不思議なねじれは何だろうか?
 振り返ると、90年のバブル崩壊以降、(筆者によれば)政府は財政支出を増やしていくが、橋本政権下の97年の消費増税(ならびに「財政構造回復法」)でマイナス成長になりデフレ不況が起こる。企業は内部留保をため込むようになる(当然給与は上がらない)。小渕内閣財政出動で一時期景気は盛り返し、小泉政権下実感のない景気回復が生じるが、これはもっぱら外需によるものであり、小泉構造改革は一方でプライマリーバランスの改善を目指すようになる。だから、この間の好景気は内需にまで及ぶことなく低迷状態が続くなか、リーマン・ショック(2008)で大きな経済収縮が起きてしまう。そこで麻生政権は緊急経済対策を行うことになる。管政権も緊縮財政路線でいくはずが東日本関東大震災(2011)で財政出動を余儀なくされるが、一方で「PB黒字目標」(2010年)導入しPB改善させてしまい、野田内閣にいたっては消費税が「国際公約」として三党合意の下決められてしまう。
 そして、筆者にいわせれば安倍内閣でさえこうしたPB改善に貢献しているということになる。その一つはもちろん消費増税(2014)である。増税による景気の収縮はしばしば増税時の影響として話題になりがちだが、増税以降もそのまま経済活動の条件として働き続けるから、対策を怠ればすぐに増税の効果が現れてくることになる。つまり、それだけ以降の経済対策の条件を厳しくしているのであり、安倍内閣はわれわれが想像している以上に小さな政府だということになる。
 ちなみに、経済危機にあたってPBの改善を条件にIMFから金を入れた結果、アルゼンチンやギリシア財政破綻してしまう。というわけで筆者はいう。経済被害をもたらしているのはPB改善であり、逆にPB改善の前提は経済成長、つまりは財政出動であるということになる。当然、増税後はその規模を大きくし、より効果的なものにしなければならなくなる。だったら、いっそのこと減税すればいいのに。
 というわけで、まず問題にすべきはPBバランスではなく、債務対GDP比の数字を小さくしていくことであり、要するに経済成長が必要だということ。それが財政再建につながる。財政出動が必要なのは、金融緩和で実態市場に貨幣を流通する条件を作っても実際に、それを借り入れる企業が出てこなければ実質的な効果は現れない。金融緩和だけでは金融市場に影響を与えることはできても実態市場に影響を与えることは難しい。実態市場が働き始めるためには、実態市場で得られる収益率(g)が金融市場で得られる収益率(r)より大きくならなければならない。そのためには、金利は下げたうえで財政政策でが必要。つまり、われわれが日々の生活の中でお金を稼ぎ、それを使って様々な便益を享受できるような状況をつくることが必要。そして、ここまで行くとこの話とピケティの議論の含意がどう結びついてくるのかわかる。
 さて、以上から、安倍首相を次のように評価してもよいだろう。安倍首相はアベノミクスの成果として株高を誇り、株価維持のために年金基金まで投入したが、株高は本来的には金融緩和の付随効果であり、内需を作れないかぎり、これだけではさしたる自慢にもならない。金融緩和後の株高は、円安での外需産業の収益増、ならびに金利が下がることで企業の資金調達が容易になることを期待しての株高であり、実態市場を反映したものではない。
 しかも、年金基金まで導入してこの見せかけの株高を維持しようとすれば、企業は、内部留保の少なからずを当然、現金ではなく何らかの債券として留保しているであろうから、さらに生産よりも株式投資内部留保を振り向けるよう動機づけることにもなりかねない。実際、大企業の総資産に占める投資有価証券の割合は増加する傾向にあり、利益改善も、売上高による押し上げが小さい一方、利益率や営業外収益 による押し上げが大きい。とすれば、株高の維持はさして生産に使われることのない補助金を大企業に配っているようなものである。
 また、株式で恩恵を受けるのは、企業の以外ではもっぱら経営者や資産家であり、一般庶民には行き渡らない。とすれば、これはインフレにあわせて賃金があがらない要因の一端ともなりうる。そもそも生産への刺激が弱いのである。しかも、消費増税の余波で財政出動に必要とされる費用はそれだけ増えることになる。つまり、想像以上に安倍政権は小さな政府なのだ。実際、2016、2017と過去最高の予算額と言われているし、たしかにリーマンショック以降は以前より大きめの予算が組まれているが、一方で国債の発行額はプライマリーバランスを意識して増えていない。
 しかし、いま必要なのは株高の演出よりも、有効需要を創出し、雇用を増やし、一般市民の生活を豊かにすることであり、それにともなった実態経済の改善であり、その結果として株価があがることであろう。もちろん、これは内需の伸びに依存している。しかし、この点で安倍政権が十分な財政投資をしているかどうかは疑わしい。また組合サイドからの賃上げ要求も重要だ。また、現行の不平等な配分に対する措置としてはキャピタルゲインの課税強化が必要だ。
 以上の説明が的を得てるのであれば、アベノミクスがうまくいかない理由は、r>g、つまり労働が伴う実態市場で得られる収益率(g)よりも金融市場での投資から得られる収益率(r)が大きいからだという話にたどりつくと言ってよいのではないか。
 これはピケティが『21世紀の資本』で示した不等式と同じである。とすれば、あれだけ騒いだピケティ・ブームはいったい何だったのだということになるし、ピケティ自身がこうした事態は政策によって変えられるといったことがここで試されているといってよいのに、それが分かってないんじゃないかということでもある(なお、ピケティは必ずしもアベノミクスを否定していない)。
 そして、改めていま必要なのはやはり雇用であり労働条件の改善だということになるし、そのためには有効需要の創出である(といっても中身は将来を見据えてきちんと考えましょう)というオールド・ケインジアンの話でも済みそうな問題である(なお、求人倍率はたしかに高いがこれはもっぱら中小企業の求人によるものであり、大企業の採用は増えていない。また、近年の非正規雇用の増加は高齢者の退職によるものが大半である)。しかし、アベノミクスでなされているのは昔ながらの自民党財政出動(ハコ物作り)なのである。
 

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21世紀の資本

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