レッキング・クルー〜伝説のミュージシャンたち

 ビートルズが出てくるまでの60年代アメリカン・ポップスは完全な分業体制ができあがっていて、シンガー、ソングライター、セッション・ミュージシャンに分かれていた。ロックン・ロールの登場で、それまでジャズのバックをやっていたセッション・ミュージシャンたちが(バーニー・ケッセルなんてそうだったんですね)、この流れにのってLAに向かう。それは、バンド・ブームが起きてからも続いていく。
 実際には、バンドのメンバーが演奏していないし、ほとんど演奏もできないなんてことがあると、私が知ったのはいつ頃だろう。多分、最初はモンキーズだったと思うが、そうしたミュージシャンたちの仕事に関心が向くようになったのは、ハル・ブレインという名前を知り、ビーチボーイズが大好きになってからだと思う。それを教えてくれたのが山下達郎だった。それから、ビートルズ以前の音楽が圧倒的に面白くなり、どんなバンドのどこで演奏をつけていたのかを知る楽しみが増えた。ちなみに、ビートルズも最期の方になるほどセッション・ミュージシャンを使うようになっていったのは興味深い(ライヴもやらなくなったし)。
 これはそんなLAのセッション・ミュージシャンの足跡を追いかけたドキュメンタリーだ。他の地域、レーベルと同じく、白黒混合、男女の差はなし、テクニックやセンスがモノを言う。なかでも面白かったのが、ブライアン・ウィルソンフィル・スペクターについて回顧したシーンだ。圧倒的な影響関係にあるこの二人だが、ミュージシャンたちの反応は正反対。
 ブライアンはフィル・スペクターのセッション・ミュージシャンを使えると大喜びだったそうだが、ミュージシャンたちもブライアントの仕事は時間のかかるセッションだけど楽しかったと。ブライアンは自分の欲しい音がアタマの中で鳴っており、一人一人にこんな感じこんな感じと指定していくのだが、そうやっていくくちにブライアンのアタマの中にあった音が実現できるとすごいことになるというのだった。ベーシストのキャロル・ケイは、あの子はホントにすごくて、たとえば、私ならこんな風にウォーキング・ベースを弾くところをこんな感じで弾けって言うのよ、とか。ちなみに、ポール・マッカートニーは『ペット・サウンズ』を聴いてベースラインが変わったと言われている。
 一方、フィル・スペクターは、まあ変人ということはよく知られているけれど(まだ収監中?)、彼ら、彼女らから見ても変な人で、ミュージシャンの演奏になんだかんだ難癖をつけ本番までに何時間もかけ、ミュージシャンがくたくたになることにレコーディングしたのだという。River Deep Mountain Highを録ったとき、これは完璧だと思ったけど、アメリカでは売れなかった。ウォール・オブ・サウンドの終わりね、とあっさり言っていたのは印象的。
 当然、演奏するつもりでいたバンドのメンバーとは確執が生じることもある。バーズがMr. Tumblin’Manを録音するとき、ロジャー・マッギンしか弾かせてもらえなかったというのは有名な話だ。しかし、バンド・ブームに加えて、シンガー・ソングライターが登場し、だんだんとシンガーやバンドが演奏するという流れが定着してくる。それをよく示しているのが、もともと仲間の一人だったグレン・キャンベルが、彼らを使わなくなったときだそうな。レオン・ラッセルやデイヴィッド・ゲイツなんかも同じ流れを踏襲してますね。キャロル・キングはレコーディングするとき、ジェームス・テイラーを連れてきたそうな。ということで、彼らの時代は終わっていく。
 でも、ボクにとって彼ら彼女らの演奏した豊穣な世界はまだまだ広がっていく。ますますその魅力に惹かれていくばかりなのであった。

The Wrecking Crew

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レッキング・クルーのいい仕事 (P-Vine Books)

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ドラムス!ドラムス!ア・ゴー・ゴー

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デュース,“ティーズ”,ロードスターズ&ドラムス(紙ジャケット仕様)

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サイケデリック・パーカッション

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