包摂と排除

 のおさらい。一つにはコミュニケーションを担う人格として扱われるかどうか。
「包摂と排除の区別は、システム内在的な区別である。この区別はコミュニケーションの秩序づけのためにのみ用いることができる。そのさい、人々を、コミュニケーションを担う人格として位置づけるか、位置づけないかの違いがある。前者においては、人々がどのように振舞い、反応するかが、多かれ少なかれ顧慮される。後者においては、顧慮されない」(235頁)。
 扱われないと「排除領域では人間たちはもはや人格ではなく身体としてとらえられるということを示す材料が若干ある」(238頁)。ただし、「注意の対象とコミュニケーションの主題が人格から身体に移ったからといって、社会性がなくなったというわけではない。ただ、社会性が別の形態をとるのである。コミュニケーションにとって重要な、情報と伝達の区別は切り詰められて、極めて縮減された情報関心だけが残るが、知覚と何よりもスピードがものをいう」(238-9頁)。
 

ポストヒューマンの人間論―後期ルーマン論集

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