今日のニュースを見ながら、『殺人の記憶』という韓国映画のことを思い出した。近代化の波が押し寄せつつある田舎で猟奇的な殺人事件が起こるのだが、地元の担当刑事は、殺人事件の捜査経験なんてろくになく、だからまた、その犯罪の異常さを顧みる余裕もなく、地元で事件を起こしそうなヤツを殴っては、オマエだろって犯人を挙げていこうとするのだが、だんだんとそれでは済まないことが見えてくる。
おそらくはコミュニティの大半が顔見知りで、誰がどんなやつかが分かっていれば、大それた事件はまず起こらない一方で、まともに事件の捜査をしなくたって犯人のおおよその見当がついてしまうような世界がかつてはあったのかもしれない。しかし、社会が複雑化するにつれて、事はそれほど単純ではなくなっていく。だとすれば、そんな捜査の手法も通用しなくなっていく。たしか、この田舎の刑事は、最後には電気製品の営業マンかなんかになっていた。
最近、警察であれ、検察であれ、誰か犯人で何をしたのかあらかじめストーリーを作って、その通りに事件を落とし込んでいこうとしているのが、しばしば露骨に見えてきてしまうことが多いのだが、実は、そういうのが前述した昔ながらの捜査とも言えない捜査手法の残滓に他ならないのではないかと思えてきたりするのだがどうなのだろう?また、もしそうだとすれば、巷間言われる「国策捜査」なるものはその典型だということになるのかもしれない。もし、それが当たり前のやり方になっているとすれば、いまだにそんなスタイルでやっていることが問題というか、何かとても恐ろしい気がするのだが。
ところで、この事件について、各マスコミは初めはどんな風に報道したんでしょうね。
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