サバルタンは語ることができるか

 以前ひろい読みしたものをあらためて。やはり、こんなに難しく書く必要もないだろうと思ったけれど、こんな指摘は確かに面白い。

すなわち、ある階級についての定義は他のすべての階級からの切離と差異によってあたえられるというのである。---。家族生活という集合性のありようは、諸階級の示差的孤立化の作用は受けているにしても、これとは連続していないのである。---。そこでは、階級の形成は人為的かつ経済的なものである。そして、経済的なagencyないし利害というものは、体系的かつ異種混交的なものであるがゆえに、非人格的なものなのである。---。それは歴史とか国民経済というような主体なき過程における主体の空なる場所をマークしているからである(16頁)。

 で、「現代のフランス人たちには、ヨーロッパの他者のなざされることのない主体のうちにどのような種類の権力と欲望がやどっているかを想像することは不可能なのだ」(28頁)。「労働の国際的な分業の圏外の外側には(完全に外側というのではないが)、もしわたしたちが同類や自己という席に座っているわたしたち自信の場所にのみ引き合わせて一個の同質的な他者を構築するだけにおわってしまうならばわたしたちにはその意識をつかまえることの不可能な人々が存在する」(54頁)。

サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー)

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