差別論

 人におそわって佐藤裕さんの本が出ていたことを知る*1。『ソシオロゴス』時代の論文で、彼のアイデアを分かったつもりになっていたのは大変まずかった。同意できない点もあったけど大変好感を持って読むことができた。よい本だと思う。そして、私は原稿を書き換えなければならなくなった。

「差別」はまず何よりも告発の言葉です。---。差別は不当な「現実」であり、それを告発する際に「原因」を説明する必要はありません(12頁)。

 激しく同意。ただ、一方で、思うのだが差別する原因というか理由は、説明するまでもなく明らかというか、突き詰めるとその人に一定の「属性カテゴリー」が適用可能だからということにしか行きつかないと思うのだが---。

 一人では排除できない」というごくシンプルな認識から出発したいと思います(51頁)。

 これも当たり前のことだが、ここに立ち返るのは実はとても大切だと思った。

 もう一つ重要な点は、ここでの「われわれ」が排除によって定義されているという点です。拝辞によって定義されているというのは、排除する対象「ではない存在」という意味において共通性を持っているという意味です(54頁)。

 これも激しく同意。いわゆる記号論での「無徴項」に相当する特徴を確認していることになると思う。ただ、そこから下のように述べられるのはどうなのだろう?

排除行為にはこの種のメッセージが不可欠です。なぜなら、排除は共同行為であり、しかもその共同性は初めからあるものではなくその場で作られるものですから、その共同性を作り上げるためのメッセージが交換されねばならないのです(57頁)。

このメッセージの交換が具体的にどの程度のものまで含むかにもよるが、狭く取れば、必ずしも必要とされないのではないかと思う。というのも、誰かを排除しようという行為がなされたとき、それ以外の人は潜在的には「われわれ」扱いされていることになる。これは無徴項の特質だと言ってもよい。だから、この排除しようとする言動をあえて問題にしないかぎり、第3者は暗黙のうちにも自分が「われわれ」の方に繰り込まれていることに同意したことになってしまうのではないだろうか?ちなみに、「いじめ」研究では傍観者の存在がものをいうことが確認されている。沈黙は同意のしるしとも言いますな。そして、差別のたちの悪さの一端はここにあるように思う。
 最後に、上記の論点ともかかわるのだが、「ワクチン」というアイデアは、その問題意識も含めてよくわかるし、とても重要な問題提起になっていると思う。

差別論 (明石ライブラリー)

差別論 (明石ライブラリー)

 

*1:佐藤さんのサイトはこここ。http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/socio/satoh/satoh.htm