『普遍論争』

 今年度の積み残しと来年度の手始めにと思って読んでみたら、そういう意味でははずれの本だった。なにしろ、入門書と言いつつ

15世紀以降の哲学史の整理、つまり中世の末期、いや近世の初頭における中世哲学の図式化は、中世哲学における普遍論争を覆い隠し、同時に中世哲学をも覆い隠してしまったのです(245頁)。

なんて大胆なことが書いてあるんだから(気づくのが15年は遅いという話もありましょうが)*1

必要なのは、この本の中でもある程度触れてきたことですが、形而上学と論理学の関係の中で、普遍性と個体性の関係、もう少し限定すれば、共通本性と個体性の原理(このもの性)の間にある区別・差異をどうとらえるかということになります(246頁)。

けど、アタマのリハビリにもなったし、とても面白い本だった。次はリーゼンフーバー先生の本をとか思ってしまったりもするけれど*2、こっちに深入りするのはやめておいた方がよさそうな。

普遍論争 近代の源流としての

普遍論争 近代の源流としての

そもそもは、グレーヴィッチが確認していることと普遍論争はどうかかわるんだろうという素朴な疑問から手を出してみたわけですが、ひとまず12世紀のお勉強を進める方が先のようだ。このあたりの本とかどうなんだろう?しかし、こっちも手をだすと大変なことになりそうな。当面こっちもやめておきます。とりあえずは、ヨーロッパ史の切れ目をルネサンスに求めることがいかに安直かがよく分かったということで。

十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)

十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)

十二世紀ルネサンス

十二世紀ルネサンス

十二世紀ルネサンス―修道士、学者、そしてヨーロッパ精神の形成

十二世紀ルネサンス―修道士、学者、そしてヨーロッパ精神の形成

入門 十二世紀ルネサンス

入門 十二世紀ルネサンス

*1:この本でも、ルターやホッブスをあげながら「近代初期の指導的な哲学者たちはアリストテレス主義的キリスト教を攻撃するにとどまらず、それを歴史から抹殺した」(423頁)と書いてますな。

中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ

中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ

*2:

西洋古代・中世哲学史 (平凡社ライブラリー)

西洋古代・中世哲学史 (平凡社ライブラリー)

中世思想史 (平凡社ライブラリー)

中世思想史 (平凡社ライブラリー)