きだみのる『にっぽん部落』(岩波新書1967)

 昨年、必要なときに入手できなかったこの本をいまごろになって読む。これを読むと、これまで調べてきたことが改めて確認できる。たとえば、共同飲食の意味はこの本でも確認できる(80頁)。ただし、これは基本的に1945年前後の東京近郊の村での知見をベースにしている。ちなみに、きだみのること山田吉彦は、M・モースの薫陶を受けている。

 まず、これまで見てきた本なかでも指摘されている村の平等観念だが、古文書をたどるかぎりではなかなか明らかにならないせいもあってか、あまりはっきりとは書かれていないが、これを近代的な平等概念とそのまま等置してしまうのはかなり問題があることがここから確認できる。

 たとえば、村の者はきわめて強欲だ。「部落では物の売り買いは売るときはできるだけ天井値近くで売り、買うときは底値近くで買う、これが相対相場による売買の原則で、部落の住民はこの点では徹底的だ」(21頁)。そして、負い目をつくることを極端に嫌うが(このあたり、モースの贈与論との関連はどうなのだろう?)、それをある種の平等を前提にしてこそ成り立つ強欲さと競争意識があるからだ*1

それはむしり部落人たちの生きようとする意欲が強烈で、機会があれば、あた人目を盗めたら遠慮なく自分欲をかこうとする性格が互いに牽制し合い戦い合い、他人の取り分を監視し合った結果生まれたとする方が部落の現実にも進歩の観念にも一致する。---。そしてこの意味の公正、平等感は部落生活の隅々までいつも支配している(70頁)。
あいつもこいつもおれさまも部落の生活の中では平等だという並列的な考えが発達し、それが他人にひんむかれたり儲けられたりするのを極度に嫌う部落人の心性の基盤に鋭敏な平衡観、平等観、公正感をうえつけたのであろう(74頁)。

 そして、これは部落外との関係でも同様。

部落と部落の関係は、部落内の家と家との関係に似た競争と敵視の関係の中にある(42頁)。

 だが、それは村を維持していくことが前提になったうえでの話だ。

部落の生活で根幹的に大切なことは何か。それは部落が何事につけても一つに纏まることだ。これは協調、協同、効力、封建的な言葉でいうと和を予想する(8頁)。

 こうした彼らが気にする世間の目とは、部落の規模が十五世帯程度であり誰もが誰もの顔見知りであるからして、具体的な他人の目だ。

部落の律儀さはこの自分の中の人目によって長い間に深く強く植えつけられているのだ(65頁)。

 こうしたなかで村を仕切るものにはそれだけの器量が求められる。

世話人になれるのは人格者と部落でいう型の人間が一番で、これは博打をしたり、する賢さのない、おっとりとした型でしかも他人に乗ぜられないほどの賢さを具えた人物だ。そして部落の住人が頼みに来る雑多な暇っ欠き仕事を嫌な顔もせずしてやると自然、住人たちの信頼が集まり、その人のいうことなら聞くことになり、その人をみんなで世話役に祭り上げることになる(33-4頁)。
社会反射のないところ個人の損得に関係する部分での平の服従は、ふだんの世話にたいするお返し或は反対給付である。そして世話とは何であるか。時間や物資や便宜を世話役が平におごってくれることである(76頁)。
親方、世話役らしさやその仕事は---、その働き振りを眺めていると、これはいま記した集団反射、伝統、良心等の護持者であるように見え、それをこれまで通り実行或は実現することを平はすでに期待していて、そうしないと部落の内部に不満と不服従を呼び起こし纏まりがくずれかねないという意味では、平は世話役に服従しているというより、世話役を通じて伝承に服従しているとみた方がよい(78頁)。

 そして、こうした村の仕組みが、部落の自立した構造の維持を可能にする。

部落はともかくもこんな風で、中央の権力の外にありながら、しかも部落は権力機構のよって立つ社会の基盤をかためている(180頁)。

 ところで、部落のこうした対人関係と社会の組織はムラに固有なものかと言えば、別にそんなことはないと思う。たとえば、ノルベルト・エリアスの『宮廷社会』を見れば、かなりよく似た部分を見出すことができるように思う。他方で、思うに、こうした義理で結ばれた関係が解体していく一方で、まともな権利意識も責任意識も育たないような状況が出来すれば、これは困ったことになりますな。

 ただ、この本はなかなか見つからないでしょう。こっちはまだ出てるんだろうか?

気違い部落周游紀行 (冨山房百科文庫 31)

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贈与論 (ちくま学芸文庫)

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宮廷社会 (叢書・ウニベルシタス)

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*1:そして、こういう平等意識って、「同等の身分・資格者にも必ず序列意識」があるという中根千枝の「タテ社会」論と親和性が高いように思う。

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

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ちなみに、この本のメリトクラシーの作動様式は「タテ社会」論の例証として読める。
日本のメリトクラシー―構造と心性

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