武士と世間

 タイトルから期待したのとは違って内容のメインはサブタイトルの「なぜ武士は死に急ぐのかな」だな。世間とかかわる話を期待したたら最後の方にやっと出てきて、話として源了圓氏が西鶴をあげて変革期にあるという議論をした延長線上にあるといってよいだろう。

 この話では、「世間」の語と「義理」の語が両方出てきている。ーーー。ここでの「世間」は、武士に規範を要求する世間ではなく、公の勤めを全うすることを指している。「世間を立てる」ことは、世の中にある者の義務であった。
 この「世間」は中立的なもので、武士に規範を要求するのはあくまで内面的な倫理である「義理」でる。「義理」は現在のように仕方なく果たす義務ではなく、内面から人間を律する規範だったので
のである(158頁)。

 ガキの時分くさるほど司馬遼太郎の本を読みふけった私には、いまだに明治維新のメタファーでしか、この国の将来を語れないこと自体が、この国の閉塞状況を物語っているように思う。そこまで、武士の世界にあこがれたいのなら、問題は、三島以来、己の勤めに忠実であろうとして誰も死んでいないことではあるまいか?これヤバイかな。
 

武士と世間 なぜ死に急ぐのか 中公新書 1703

武士と世間 なぜ死に急ぐのか 中公新書 1703