志ん朝と上方

 上方芸人に志ん朝の思い出を聞くというのはとてもよい企画だと思ったけれど中身が薄いな。実際、本も厚さのわりには中身がない。しかも、聞き取りは4人からだけだし、そのなかに米朝はいない。メインが志ん朝の思い出を語るということになると話題が限定されて出て来るものも出てこなくなるんじゃないかな。筆者の趣味か談志についてまったく話題が出てこないというのもわたしには不可解である。聞くところによれば、二人とも同じ頃に松鶴の先例を受けており、談志も大阪で煮え湯を飲まされてるはずだし、談志だったら文枝(三枝)が出てきてもおかしくない。もっと、突っ込めば面白い本になるのにそうしないからいまじゃこんな扱いになってるのかな。昨日とは打って変わってという感じだが、わたしにはどちらも中途半端で不満が残る。

志ん朝と上方

志ん朝と上方