最近入手した高橋悠治『ことばをもって音をたちきれ』をぺらぺらめくっていたら、タージ・マハル旅行団について書いた一文があった。そこからメモ。
たとえばだれかが電気ヴァイオリンの弦をこする。振動はコンタクト・マイクをとおして電気的エネルギーとして増幅され、あはるか向こうにおいてあるスピーカーから聞こえてくる。また音の一部はエコー・マシンの中に記憶され、さまざまな時間的ずれをもって再生される。こうして空間的・時間的距離をへだてて自分の作った音にききいる時、それはすでに自分から離れて世界の一部になている。この演奏音との間で起こるフィード・バックが、人間と機械の相互作用あるいは対話のシステムの基本である。電子装置によって、どこかを指でかるく触れるとはるか向こうで大音響がバクハツするということは、重大な思想的変換なのだ。ここにあるゆとりが、音楽を盲目の手の運動から解放して、耳を未知の世界に開くのである。ただ精神に対する肉体の回復ではなく、肉体の異化ともいえる全体的な体験である(p67)。
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