サラエヴォの銃撃

 『サラエヴォの銃声』というから、私はてっきりサラエボ事件の映画だと思っていた。第一次世界大戦から100年ということで様々なイヴェントや書籍が刊行されたのはわりと最近のことである。年をとると時間のたつのが早いというが、アタマのなかh2,3年同じ状態だったりもするんだな。100周年で出たジャン・ジョレスの伝記も読めずじまいだから、まだ100周年がらみの考えてみてよい問題を自分のなかでも処理し切れていないということでもあろう。
 いずれにせよ、この映画はフェルディナンド皇太子夫妻が止まった老舗ホテル『ホテル・ヨーロッパ』を舞台にたいわゆる「グランドホテル方式」というヤツで一つの作品のなかでいくつもエピソードが展開する。それから「ハムレット」的とでも言おうか「映画内的映画」風にもなってるし、カメラ・ワークもみごとだ。
 だが、かつて栄華を誇ったホテル(ヨーロッパ)の経営状態は悪い。支配人は資金繰りに苦労している。そんなホテルに大物とおぼしき賓客が訪れ、なぜか警察の監視までついてる。一方では、屋上ではサラエボ事件をめぐるドキュメンタリーのインタビューが行われており、そこでのやりとりは現代のサラエボにもつながる。さらに一方では、2ヶ月賃金も支払われていない従業員がストを計画中。
 というわけで、だんだんと私にもこの映画の構成が見えてきた、グランドホテル方式の構成のなかで、第一次大戦以降のセルビアが、第二次世界大戦、ユーゴ紛争、EU時代のセルビアにもつながっていくわけだ。まず、インタビューのなかに出てくるセルビア事件のモニュメントの変遷の話がそれを教えてくれるし、話自体が興味深い。暗殺者プリンチプは見方に拠れば、民族の英雄であり、一方でテロリストなわけですな。比較的身近なイメージでいえば安重根みたい。
 次にプリンチプの末裔にあたるプリンチプと同性同名の人物があらわれ、インタビュアーと口論を始める。とはいえ、サラエボ事件以降も、旧ユーゴスラビア自体がごちゃごちゃした歴史を抱えており、ナチ時代はクロアチアセルビア人虐殺を行い、サラエボ人がそれに抵抗するが、ユーゴ紛争ではスレブレニッツアでボスニア・ヘルツェゴビナが虐殺を行っている等々複雑な話が前提になるであろうやりとりがあり、それに関してもめていることは分かるが一度見たぐらいじゃ詳細はおえないってか、自分がどれだけ知ってるんだか。
 一方で、ストつぶしの動きがあり、今夜のヨーロッパ各国から賓客を迎える準備も料理、少年少女の合唱隊の練習からから、キャバレーのリハまで用意を整えている。ところが、さっきのプリンチプは銃を持っており取材後に階下におりるときそれを手にしたまま、そこをちょうど部屋を出て行く賓客の護衛がヤクをやっっており、あわてて賓客を追いかける出会い頭にプリンチプを見て撃ち殺してしまう。
 それでホテル内の人々がみんな外へ逃げていき(いわば現代のセルビア事件が起こり)、一人目のストのリーダーがぼこぼこにされた後にリーダーに選ばれた母親と、そのせいでクビになったフロントにいる娘が母を捜していたところに、騒ぎに乗じて監禁先から逃げ出せた母と再会する(この事件がもたらしたよき可能性)。最後に、オーナーがテレビをつけると、この映画の原作にあたる『ホテル・ヨーロッパ』を放映していた。この舞台一人舞台らしいんだが、あの賓客はその役者であり、演説の練習をしているように見えたのが実はセリフあわせだったとわかる。つまり、彼が重要人物であるというのはフェイクであったのだ。いわば、いまやフェイクでしかありえなかったホテル(ヨーロッパ)が完全に終わる?
 こうやって映画全体を振り返ると、いわばEUに組み込まれたセルビア自体がフェイクのようなものに見えてくる。そういえば、旧ユーゴ時代に撮られた『三人でスプリッツア』という映画があった。完全な社会主義圏にいるわけでもなければ資本主義圏でもないモザイク国家、その中途半端さがソーダとワインをまぜたスプリッツアに例えられていたが、あれも一種のフェイクだな。
 そして、現在、EU下のサラエボはメリットよりロスが大きいかもしれない。だから、いまのドイツは駄目だといいたくなるが、一人芝居をするのはフランス人だ。ドイツ人の方が現代的には皮肉が効いているが、歴史的には面倒なことが増えるし、理念を語りたがるのはむしろフランス。原作もフランス人だ。いずれにせよ、第一次世界大戦でヨーロッパが没落したように、人がいなくなった「ホテル・ヨーロッパ」(EU)で再度の没落が繰り返される。コメディのような悲劇のような悲喜劇。いまのEU圏の各国と経済状況と選挙での極右の台頭はまさにそれを裏付けるものでもあろう。
 そして、この舞台の原作は、きっとそんな風には考えていない、なんとベルナール・アンリ・レヴィだった。小説の類いも書いていたんですね。フランスではかつてヌーヴェル・フィロゾーフといわれたマルクス主義から離れていった一群がいて、彼らは社会主義批判を初めとする書物を著し、政治にもコミットした。個人的にはあまり好みではないが、かつて日本にもいたマルクス葬送派と近いものがあるが、知的レベルは圧倒的にヌーヴェル・フィロゾーフの方が高い。レヴィはしばらく前に『サルトルの世紀』という本を書いて、ちょっとしたサルトル再ブームに火をつけたし(といっても、サルトルの哲学を論じるというよりは人物を論じる本で分厚いわりには読みやすくあまり面白くなかった)、
 たしかサルコジの相談相手でもあって、それが米国とフランスのカダフィ政権つぶしにつながる(これもいろいろ曰くがあって、反ヒラリーの一つの理由になってる)。ついでに、いえば昨年、同じくヌーヴェル・フィロゾーフなかでは私が一番親しみをもてるアラン・フィンケルクロートがアカデミーのメンバーに選ばれた。これは日本で言えば見田宗介さんが勲章をもらうようなもんでしょうか。そんな時代なんですね。というわけで、一見に値する映画だと思いますが、旧ユーゴの前後について何も知らないと話がよくわからない部ぶっbが出て栗かも知れないけど、それでも楽しめるんじゃないかな。無理かな。

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