いしぶみ

 相変わらず予習をしていかないので、これが是枝さんによる広島を扱った作品だと言うことしか知らない。ヒロシマを扱う作品というのは難しい。どうすれば、ヒロシマを扱ったことになるのかよくわからないからだ。この映画、基本的には綾瀬はるかの朗読で始まり、内容は基本的には伝聞、この日、被爆して亡くなった子どもたちの身に起こったこと、それが広島二中の生徒たちのものだということがだんだんわかってくるのだが、看取った母や父の語りから起こしたものなのだろう。ひたすらそれを読み上げる。
 その一室は、亡くなった子どもたちの遺影が前面に映し出されており、水俣展のために土本監督が被害者宅を回って集めてきた遺影の棟を思い起こさせた。あとは周囲に木箱があるだけ。朗読の度に、その木箱に子どもの顔写真と名前が映し出される。それはまるで墓石のようでもある。そして、その木箱が次第にみんなが飛び込んだという川になり、棺桶になり、いしぶみになる。われわれの想像を拒否するような即物的な様式がかえって自分に突き刺さってくる。
 一方で、それとは打って変わって、いまの広島の空の下で、生き残った生徒やその近親者、担任の先生の娘さんによる当時の語りが映し出される。そこでこの生徒たちが亡くなった父の二つ下だったらしいということが分かる。なお、このときインタビューするのがミスター池上である。ミスキャストかと思った。インタビュワーの方がインタビュイーより目立ってしまうのである。とはいえ、その池上氏にしても特別な言葉がかけられるわけでもない。おそらくは誰であれ、この人たちは同じように昔のことを語るだろう。そういう意味ではこういうやり方もありなのかとも思えた。
 後から、これがかつて広島テレビで作られたドキュメンタリーのリメイクであり、証言は本になっていることも分かった。ドキュメンタリーのリメイクとは思わなかった。そして、元のドキュメンタリーも見てみたいと思った。おそらく、元のドキュメンタリーへのオマージュにもなっているのではないか。
 

いしぶみ

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