「愛しきベイルート/アラブの歌姫」

 重信メイさんがパンフに一文を寄せており、それを読んでしまえば、もはやそれ以上言うこともないのだが少しだけ。この映画は、ベイルートの市民にベイルートでの思い出や暮らしを尋ねながら、アラブの伝説的な歌い手だというファイルーズの姿を描き出していくドキュメンタリー。それを見ながら思い出した。ボクが子どもの頃は、ベイルートは西ベイルートと東ベイルートに分かれていたのだ。それがレバノン内戦と呼ばれていることを知ったのはもう少しあとになってからだったが。
 少年時代に内戦が勃発し、ものごころつくころには銃を握っていた。そう語る左派のイスラム教徒、右派のキリスト教徒、二人は戦火のベイルート、それも町の反対側にあっていずれもファイルーズを聞いていたという。ファイルーズはキリスト教徒だったのに、どちらの側にもつかず、内戦下でもベイルートにとどまったのだとか。内戦前の美しいベイルートを覚えている老人は、若き日にファイルーズを聞いた思い出を語る。パレスチナ難民や苦境にあるキリスト教徒、より若い世代も苦難のときにファイルーズを聞いた思い出を語る。そのとき、それまではきつい表情を見せていた顔たちが、彼女のことを語りその歌を聴く瞬間には、妙に若やいだり、遠くを見るようななつかしげな表情に変わるのが何とも言えない。
 メイさんによれば、彼女の歌は恋人への愛を歌うなかにも中東の情勢や祖国への想いを歌い込んでいる。それは字幕で歌詞を追っているだけの私にもうかがうことができた。あるいは、ファイルーズの歌を目覚まし代わりにするという人たち。そう、彼女はいつも「われわれとともに」ある。丸山眞男ではないが、彼女の歌はベイルート市民のあいだで執拗低音のように鳴り続けているのだ。しかし、そうしたファイルーズへの思いは現在の苦難と裏腹だ。市民の誰もが現状への不満を口にする。とある女性は、子どもたちにこんな世界で育って欲しくなかったという。自分が子どもの頃は友だちの宗派なんて気にしなかった。それなのに、いまでは子どもたちは友だちの宗派が何か顔色をうかがっている。
 このファイルーズってどんな人なんだろう?だが、思い出をかたるなかであらわれるのは少々ぼけた彼女の写真とその背景に流れる歌だけ。ファイルーズを知る人たちにしてみれば、自分のなかに思い出があるのだから、それで十分なのかもしれない。そもそも、彼らはのほほんとテレビを見ながらファイルーズを聴いたわけではない。とりわけ、老人たちの若き日には、ファイルーズに接する機会は、ラジオと新聞のぼけた写真だけだった*1。彼女を直接眼のあたりにする機会などめったにあることではなく、だからこそ、おばあちゃんはその想い出を生き生きと語る。これが人々の記憶に忠実な描き方なのだろう。そうはいっても気になる。でも、結局、彼女は現れない。ただ、最後になって彼女の歌う姿が映し出される*2。もっと聞いてみたい。とりあえず、CD屋で探してみよう。ちなみに、この映画もうじきDVDになるらしい。

ヴェリー・ベスト・オヴ・ファイルーズ

ヴェリー・ベスト・オヴ・ファイルーズ

愛しきベイルート

愛しきベイルート

愛しきベイルート アラブの歌姫 [DVD]

愛しきベイルート アラブの歌姫 [DVD]

*1:しばらく前に『ラジオのリクエスト』というシリア映画を見たが、これも戦火のシリアの農村で働く若者たちが、自分たちのリクエストがかかるのを楽しみに、村に一台しかないラジオの前に集まってくる話だ。その一人は徴兵され恋人と離ればなれにな(り最後には戦死す)るのだが、それでも二人はラジオを介して心をかよいあわせるものと信じられる。それが、ただの甘いラブストーリーではなく、リアリティを持ってくるのは、ラジオが日常的に若者たちの交わる場所に組み込まれ、交わりを組織する媒体の一つになっているからだ。メディアはそれが作動する場所に応じて機能を変化させる。だから、われわれはこうした映画を見ながら、同時に、ある種の喪失感を感じずにはいられなくなる。

*2:なぜかジャームッシュの『イヤー・オブ・ザ・ホース』を思い出した