和辻哲郎日本古代文化論集成

 古本でお手頃なのがあったのでこっちにしてみた。関連文献もあわせて便利と思ったのもつかの間、読み始めて分かったことには、和辻にしては毎度のことながら、版をあらためるごとに改訂がなされている(1920→1926→1939→1951)。しかし、いったいどこがいじられたのかはこの本を読んでもちっとも分からない。これでは岩波『和辻哲郎全集』からの寄せ集めではないか。これだけの値をつけるのだから、その程度の暇はおしまなくてもよいのではないかと思う。それから索引もつけてほしい。
 「いかなる人種が新しい時代に日本に移住したとしても、日本民族を構成した主要成分は石器時代からこのこくのにいた。そうして古い文化から新しい文化へと移行して行った長い年月の間に、その生活においては一つの民族となりきっていた」(31頁)。といういかにも和辻らしい記述が出てきて、しかもそれが「自然」に結びつけられるのだが、一方で「氏の意識は、血縁の意識であるには相違いない。しかしそれは統率者や領主の家族的血縁の意識なのであって、その率いる集団全部を含めての血縁団体の意識なのではない」(72頁)。
 他の和辻の本を読めば、和辻が血のつながりをどう意識していたのかは気になるところではある。版を重ねた時期や同じく掲載の「古代日本人の混血状態」(1917)があることを考えるなら、本書が変更されたというよりは、むしろ、以降の和辻が変わったと見た方がよいのかもしれない(もちろん、要確認)。『日本精神史研究』が1926年、加藤周一はその文庫版解説で和辻は1930年代の変貌したのだと言う。それはともかく、
 私が小学生時分のくらいや邪馬台国論争が盛んであった。自分がお膝元に住んでいたということもあって拙いながら、邪馬台国について書いた本を読んでいた。当然ながら、当時の自分は九州びいきであった。実際、近畿説をとる議論はあたまから『魏志倭人伝』の誤記を指摘するところから初めて、読んでいてこれはなんだんだという感じであった。だから、現存の最古の文書の記述にしたがって邪馬台国は邪馬壹国だという古田武彦氏の話がもっともらしく思えたり(つい最近もおひとり古田信者のお一人の所在を知った)、宮崎康平さんの本を面白く読んだりした(「島原の子守唄」の作者である)。九州説と近畿説の対立は実質的には学閥争いにすぎないと知ったのは後日のことで、また、そんな調子だから当時は半ば素人でもこの議論に参加することができたのである。
 しかし、和辻のこの本を読めば、その議論の是非はおくとしても、もっときっちりした文献考証のうえ議論が進められているとわかる。当時の学会の状況がどんなものか知るよしもないが、随分拙い議論につきあわされていたものである。当時の私がこれを読んでいれば、また見方も変わっていたかもしれない。少なくとも、弥生式文化の時代に銅鐸文化圏と銅鉾銅剣文化圏の合一を認める和辻の議論にはそれだけの面白さ、説得力がある。
 その後、崇神垂仁朝紀に祭事の統一があり、帰化人も含めた氏姓制度が発達する。しかし、すでに確認しておいたように、この「氏」には血縁関係は認められない。一方で、神功皇后の朝鮮遠征にともなう漢文化との接触が神話や抒情詩を作り出す基盤となったとされ(83頁)、応神朝紀頃あたりまでに日本の国家は初めて自覚の段階に達したという。のみならず、さらに和辻が帰化人を重用したとする雄略紀は書記の歴法が変化した時期にあたり、書記の書き方が変化したという継体紀に一種の断絶が見いだされる時期にあたるのも興味深い。
 こうして、古墳時代は民族の混淆も進み、様々な文化的発展が進んだ時期と考えられるわけだが、和辻お気に入りの「奈良朝においては帰化人はもう完全に日本人になり切っている」(106頁)。「かく見れば帰化人が与えたのは知識であり材料であって、想像ではなかった。が、日本人の想像力の作用は、帰化人が伝えた知識のゆえに、かえって活発に動きだしたらしい」(135頁)。古事記の原型をなす旧辞を残したのは明らかに帰化人であるが、それは「日本人の仕事」である。
 古事記においては「その主題となったものは、皇室に神聖な権威があり、もろもろの伴や部がそれのよって調和的に組織せられているという現前の状態である。これらの状態は古事記に物語るごとき事情によって生じたのではなく、むしろ古事記全体の構図が、これらの状態から生じたのである」(170頁)とその制作の政治的必要すら否定される。「太安万侶の仕事は、単に文字の書きかえであって、内容の変更ではなかった」(141頁)ということになる。
 そのうえで和辻は『古事記』で物語られている歌謡の作者は「国民」であるとし、記紀の歌謡を『万葉集』と比較しながら、上代人の感情を取り出してくる。もっとも、この上代人が具体的にいつ頃に比定されるのかはよく分からない。いずれにせよ、和辻にあっては帰化人の影響を認めつつも、それ以前から存在し続けている「原日本人」を措定してかかることに変わりがないことは冒頭の引用で見た通りである。ちょっと、宣長の議論と比較してみたくなってきた。
 

和辻哲郎日本古代文化論集成

和辻哲郎日本古代文化論集成

 他に仏教哲学読本も出ているがこのパターンなら要らないかな。
和辻哲郎仏教哲学読本 1

和辻哲郎仏教哲学読本 1

和辻哲郎仏教哲学読本 2

和辻哲郎仏教哲学読本 2