「物体」の次に取り上げられる特殊者は「音」であり、つまりは非空間的な聴覚世界での同定と再同定の可能性であり、さらには、それが非独我論的意識の条件を満たすかどうかである。そのために、不在と現在に相当するような空間的広がりの類比物として、音の高さの変化と位置の変化で何ができるか検討される。ここはちょっと難しいのだがとても面白い。
 「いま考察している想像された概念機構においては、問題の拡がりは純粋聴覚現象における変動によって与えられる。この拡がりは、いわば主音の高さの範囲である。したがって独立に再同定可能な特殊者は、この機構においては、それ自身純粋に聴覚的であってよいのである」(94頁)。
 さらに、非独我論的意識をめぐっては、再同定されない間があるということは、観察されることとされないことの区別に極めて類似している。しかし、この区別のために「第一人称単数の代名詞およびそれと結びついた諸形式によって表現するような観念は必要ない」(97頁)、「いままで与えられた世界の記述には、もし規則に従うなら、自分と自分でないものとの区別を利用する必要があるようにはみえない」(98頁)。
 さらに、音の変化がおきる/引きおこすという識別能力を導入したり、未来への目(志向性ということになるでしょうか)を導入しても、必ずしも第一人称のような自分と自分でないものとの区別の観念を導入する必要がない、「作用によって起こるものを作用によって起こるのではないものから区別する必要がある。しかし作用者どもを区別する必要はないのである」(100頁)。ということで、この論文がどんな内容だったか気になってきた。余裕ができたら確認してみることにしよう。

コウモリであるとはどのようなことか

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個体と主語

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