キェシロフスキと二つの世界

 ここのところキェシロフスキの回顧上映をずっとやっていて、時間があるときに見に行っているのだが、今日は『傷跡』と『アマチュア』を見てきた。あらためて何本か見て思ったのだが、キェシロフスキの作品って主人公が二つの世界の狭間にいて、そのいずれかを選ぶことを余儀なくされるという設定の話が多いな。どちらか片方の世界だけで生きられる人は気楽だ。だが、相容れない二つの世界を知ってしまった人間はそれゆえの苦悩を抱え込まざるをえなくなる。ちょっと前に言及したような内部告発の是非を前に据えられた人間を考えてみればいい。

 社会主義時代のポーランドにあってキェシロフスキ自身がおそらくそうした状況下で映画を作っていたはずだ。その一端は、彼についてのドキュメンタリー『スティル・アライヴ』からもうかがわれる。映画を作り続けるためには、どこかで体制と寝なければなるまい。それがしばしば苦痛を伴うものであることは言うまでもない。でも、そうやって自分の作りたい作品を撮っていかなければならない。

 そんなことを考えていたら、しばらく前に読んだ『神奈川大学評論』(62号)冒頭の対談で、亀山郁夫が以下のようなことを述べていたことを思い出した。また、この対談では米原万里の印象的なエピソードも紹介されている。

人間がある世界に生存する限りにおいては、その世界に対して一方的に、あるいはこの場合、独裁権力に対して批判的であるということは絶対あり得ず、必ずそこには共生、共存の関係が生まれる、ということです。だから、たとえスターリン主義が悪であろうと、そのスターリン主義と和解し、共生していこうという知恵、和解の視線が生まれるんですね。それが生存の条件である以上、逆にそれなしで、ほんとうの芸術の豊かさは生まれない、そんなことを考え、書いていきました(7頁)。