人文科学の死後あるいは余生

 今頃になって7月刊の『神奈川大学評論』特集「「大きな物語」再論と知識人の役割」を読んでいる。冒頭の小林康夫大澤真幸の対談「物語の不在と知識人の役割」が期待に反して面白かった。かつてフーコーは人間の死を暗示し、その後それはある意味であたっていったわけだが、人間の死は同時に人文諸科学の死でもある。まあ、確かに死にかけてるわな。でも、生き残りにあくせくはしても、そんなことまで考えようってことはなかなかない。そんな思考停止状態のアタマには丁度よかった。興味深いことに、二人がともに、われわれのなかにある非人間的なものをどれだけ思考できるかにその可能性をかけているということを確認してこの対談は終わる。

未完のレーニン 〈力〉の思想を読む (講談社選書メチエ)

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