『恋人たちの失われた革命』

 って、原題はLes Amants Reguliersだった(「生真面目な恋人たち」とでも訳せばいいのかな)。フィリップ・ガレルの68年ものということで見に行く。もっとも、前の用事におされてすべりこみセーフで映画館に流れ込んだので、いささか体力負けした感じ。ゆっくりとした映像にときどき眠くなる。この長回しの、とりわけアップの映像が、ドキュメンタリーとフィクションのあいだを行き来させて、奇妙な感覚を作り出しもするのだが。
 主人公はガレルの息子ルイ演じる詩人の卵フランソワ。最初の自宅にやってきた警官に向かって徴兵を拒否する場面では、外からヴァイオリンの音が聞こえてきて、フランソワが自宅の窓を開けると表にヴァイオリン弾きと台に脚をのせた山羊がいて、その背後には血とおぼしきものが流れている。それで、フランソワは警官が再度やってくることに気づき逃走するのだが、この贖罪の山羊を連想させるこのシーンから、おそらく主人公は最後に死ぬんだろうなと思う。
 そのフランソワは仲間と合流して、5月革命の現場へ。革命といっても、烈しい闘いの場面があるというわけではなく、なんか間延びした感じ。みんなでじっとしているシーンが多い。フランス革命とおぼしきカットが挿入され、それが5月革命に重ねられるわけだが、それも逃走の場面だ。まあ、実際にもそんなにドラマティックなことばかりではなかったのだろうし、そもそもユートピアでは時間は流れない。だから、これを見ながら革命下では時間が流れないのだと言ってもよいだろう。
 むしろ、ちょっとドラマティックになるのは負けがはっきりして警官から逃げる場面だ。それもとてもかっこいいとはいえない。だが、夜の映像はとてもきれいだ。で、夜が明けて、みんな薄汚れた顔をしてママのもとへ帰る。そこで口にするのはひよった労働者の悪口。組合にとって革命というのは賃上げの口実にすぎない。働いては週末に休む労働者は非革命的な時間を生きているのだ。このとき、実の祖父でもあるというフランソワと祖父のやりとりがいい。
 革命に破れ、徴兵拒否にも執行猶予がついたフランソワが行き着く先は、遺産で食っていける仲間アントワーヌの屋敷だ。この映画では、あまり背後に音楽が流れないのだが、ここではニコやキンクスがかかる。みんな芸術家気取りで、ドラッグやって、恋に落ちて、セックスして。セックス、ドラッグ&ロックンロール。それが永遠に続くかのようなヒッピー的な無時間の世界。ここでも時間は流れない。男の子、女の子がいろいろでてくるのだが、ときどき誰が誰だか分からなくなる。フランソワも彫刻家の卵リリーと恋に落ちる。
 しかし、革命が失敗したように、ここでも警察の手入れが始まり、外の時間が流れ込んでくる。アントワーヌはモロッコへ逃走。リリーは生活費を稼ぐため、とある彫刻家のモデルのバイトを引き受け、フランソワと同棲を始めるが、フランソワの懸念どおりリリーはその彫刻家に魅かれニューヨークへ。フランソワは、非革命的だとアントワーヌの屋敷を出た友人と再会して、「すごいことがおこるぞ」と言われるが、次に起こるのはフランソワの死。そのまどろみのなかでフランソワは夢を見る。
 というわけで、まとめてしまえば、ガレルの独特の映像が革命的時間の現実とも虚構ともいえない感覚を描く一方で、日常的な時間と拮抗するなかで革命的時間が、ヒッピー的ユートピア/恋、夢/死へと変容していく。まあ、展開はありきたりといえばありきたりだし、そのピュアな、悪く言えば甘えた感じをどう受け取ればいいのか、そんな気分で見てました。そういえば、68年というより60年安保ではありますが、失恋して自殺した歌人、岸上大作なんていう人もいましたね。