No Direction Home

 やっと名古屋でも公開され、見て参りましたよ。ボブ・ディランの伝記映画『No Direction Home』。この映画は、ディランのデビュー前からオートバイ事故を口実に隠遁生活を始める前までを扱ったもの。しかし、1週間14回しか上映しないとは、これでは2度行ってる暇がないではないか。で、何かを書くべきなのだろうけれど、やっぱりディランはすごかったとしか書きようがないのが正直なところ。しかし、それではどうしようもないので、何とかもう少し言葉にしてみよう。

 それを一言で言ってしまえば、やはり歌の力とか音楽の力ということになってしまうのかもしれない。実際この映画のサントラに入っているMaggie's FarmとかLike A Rolling Stoneには圧倒された(実は、昨年末はこのサントラばかりを聴いていたのだ)。しかし、ここでいう歌の力とか音楽の力とかいったものは、よく言われがちな、音楽は人の心を癒してくれるすごい力を持っている、というようなそれとはまったく違っていると思う。もちろん、その手の楽曲にもすぐれたものがあることを否定するつもりはないのだが、ちょっと極端な言い方をしてみれば、この手の楽曲は聴き手に媚びを売っている。どういうことかというと、人が音楽に癒されるというとき、音楽と聴き手の関係は、音楽が聴き手に従属する関係にある。つまりは、楽曲よりも聴き手が先にあって、こういう気分のときはこういう曲を聴きましょう、と、人の気分にあわせて楽曲が用意されることになる。

 だが、明らかに優れた音楽でありながら、いつでも気軽に聴けるわけではないような音楽もある(たとえば、チャーリー・パーカーなんて典型的にそうではないだろうか?)。ここでは、逆に、聴き手が音楽に自分をあわせていかなければならない。そして、そうした音楽は必ずしも聴きやすいというわけではない。だから、そのような音楽に対しては、聴き手は少し遅れてやってくることになる。

 ちょっと横道にそれると、「よい音楽とは自分がよいと思った音楽である」式の紋切り型があるのだが、もしさっき述べたことが正しいとすると、これが大嘘だということがすぐに分かるはずだ。主観的にはいかにそれが正しくとも、自分に理解できないが、しかし、優れた(あるいは優れているのかもしれない)音楽というのはあるものなのである。そもそも、すぐれた才能が生み出した成果を、こっちの貧しい耳で裁けるわけがないではないか!これは、自分の音楽聴取歴をふり返っても俄然正しいと断言できる。そして、自分の耳が裏切られる出会いこそ音楽(だけではないと思うけど)を聴く最高の喜びの一つではないかと思う。そして、誰が何を言おうとこの時期のディランはスゴイ。

 話を戻そう。この映画を見ると、ディランが、まず何よりも、こうした遅れてきた聴き手、それもすぐれた聴き手であったことが分かる。たとえば、若き日のディランは、レコード屋に試聴に行き、一、二度聴いただけで、その曲を覚えることができたという。あるいは、忘れられていたウディ・ガスリーをディランが発見する(そのために知人宅からレコードを盗み出したという逸話も楽しい)。映画には出てこないが、『ボブ・ディラン自伝』(ソフトバンクパブリッシング、2005)に出てくる話では、デビューが決まってジョン・ハモンドからロバート・ジョンソンのレコードを渡され、友人宅で聴くのだが、友人(デイヴ・ヴァン・ロンク)が何も感じなかったまさにそのところにディランは驚きを覚える等々(ちなみに、この人のことを知らないと、作中の十字路で魂を売ってという笑い話がなんのことか分かりません)。

 こうしてディランが聴き取ったものを次に聴衆が聴き取ることになる。それは、最初はフォーク・ソング、プロテストソングとして受けとられることになった。当時、アメリカは公民権運動やヴェトナム反戦運動の真っ盛り、そうした運動を支える歌としてディランの歌は受けとめられたのである(日本では、それが岡林信康等々「反戦フォーク」として受け継がれる)。しかし、ディランがこうした時代を象徴する人物として神格化されていくとき、ディランの歌は、ディランが聴き取り受け継いだ音や歌としてではなく、聴き取ったもののなかに含まれていたいくつかの観念に閉じ込められてしまうようになる。つまりは、型にはめられちゃったわけですな。

 ディランは、そうした観念の牢獄に抗い、エレキ・ギターを手にして新しいスタイルで歌い始める。もっとも、それもディランが聴き取ってきたものをやはり受け継いだにすぎないのだが(後述するロイヤル・アルバート・ホールのライブではステージの背後に大きな星条旗が飾られている)。しかし、エレキを握ったディランは、商業主義に魂を打ったと非難されることになった。つまり、ディランは自分が作り出してしまった遅れてきた聴き手と戦わなければならなくなったのだ。

 たとえば、ディランの逸話を少しぐらい知っている人なら誰でも知っている有名なエピソードとして、1966年のロイヤル・アルバート・ホールのコンサートがある*1。このコンサートの最中、あるファンが「ユダ!」(ユダはキリストを売った弟子、つまり、裏切り者ということ)と叫び、ディランが「オマエは嘘つきだ」「オマエなんか信じない」と言って、ヴォリューム目一杯にしてLike A Rollingstoneを歌ったという話。数年前、この伝説の舞台がBob Dylan 1966 LiveとしてCD化され、その演奏のすごさにぶっとんだのだが、今回はそれを映像でみることができる。あるいは、ディランが初めてエレキをもってコンサートに望み、ブーイングの嵐にあって涙を流しながらアンコールにアコギ一本で歌った(しかし、私にはそのようには見えなかった)、と言われているニューポート・フォーク・フェスティバルの映像もみることができる*2。このときのMaggie's Farmがスゴイ。もう既にパンク。どうみたってこれは「フォーク」との訣別宣言だよ。ピート・シーガーは、斧を持ってきてコードを切ろうとしたとか。

 こんな感じで、コンサートのチケットは完売、しかし、エレキを握ったディランには罵声の雨が降りかかる。だったら、なんでコンサートなんか行くんだよと思ってしまうわけだが、おそらく、ここにはいまわれわれがコンサートに行くのとはまったく違った何かがあったようだ*3。それこそが、ここで言いいたい歌の力、音楽の力だと言ったら分かってもらえるだろうか?さらには、そうした聴衆をねじふせるディランの歌と音、それこそ、ここで言いたい歌の力、音楽の力だといったら少しは分かってもらえるだろうか?そして、ディランはいくつもの歌を聴き継ぐことでそこまでやってきたのだ。

 とにかく、3時間半という長尺、それも花粉症でただでさえ眠くなるのに、長さを感じさせない、入れ換え制でなければ、もう一度見てしまったに違いない映画だった。この映画で、少しでもディランの剥き出しの音にふれてほしい。

ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム [DVD]

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No Direction Home: Bob Dylan

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ボブ・ディラン自伝

ボブ・ディラン自伝

*1:実際は、マンチェスターだったとのこと。

ロイヤル・アルバート・ホール

ロイヤル・アルバート・ホール

*2:

*3:たとえば、その一端はこの本からうかがい知ることができるんじゃないかと思う。