人間

 百科全書的、博覧強記とも言えるし、肝心なことをもっと切れ味よくめとめてくれよとも言いたくなるカッシーラーの本。もし『シンボル形式の哲学』に挑んだらどんなことになるのであろう。まあ、同時代的にはこういうタイプの本が多いよなと思う。カッシーラー自身は自らの試みを「哲学的人間学」と読んでいるが、別に「精神科学」と言っても構わないのではなかろうか。
 それはおくとして、ユクスキュルの「動物の機能的円環」に「シンボル」をかませるのが「人間の機能的円環」ということになる。「あらゆる動物の「種」に見出されるはずの感受系と反応系の間に、人間においては、シンボリック・システム(象徴系)として記載されうる第三の連結を見出すのである」(63-4頁)。似たようなことをもっと単純に丸山圭三郎が言ってたような気がするな。ただし、この本を読んでいても「機能的円環」を感じることはあまりできないのだけれど。それはともかく、
 たとえば、この違いは「情動言語」と「命題言語」の違いとして述べられ、動物のシグナルと違ってシンボルは人間の「意味」の世界の一部であると言われ(「意味」って何?)、「ほんとうの人間的シンボルは、同一性によってではなく、可変性によって特徴づけられているそれは固定的でなく、不変的でなく、自由に動くものである」(85頁)。さらに「「現実的」と「可能的」の間の差異は、人間以下の存在にも人間以上の存在にもみられない」(127頁)という話につながり、納得しつつも、それがいかにして可能かは問われないんだなと不満に思う。
 以降、「第二部」は、人間活動としての組織として、神話、宗教、言語、芸術、歴史、科学をそれぞれ見て行くことになる。歴史のところには「意味論」という語がでてきますな。それはともかく、これらは「我々が有機的自然の中に見出す社会生活の形式を、新たな状態すなわち社会的意識の状態に発展させる手段である。人間の社会的意識は、「一致」と「差別」という、二重の行為に依存している。人間は、社会生活を媒介としない限り、自らを見出すことはできず、自己の個性を知り得ない。しかし、人間にとって、この社会生活という媒介は、外部から個人を限定する力以上のものを意味する」(469頁)。で、こうした人間文化は、人間の漸次的な自己解放の過程として記述できることになる。

人間 (岩波文庫)

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シンボル形式の哲学 (岩波文庫)  全4冊

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