毒婦

 北原みのりさんの本。気になってはいたのだけどほったらかし。控訴審にあわせてか、気づいたら文庫になっていた。で、読んでみたら、この本面白い。ただ、最後のフェミニスト的な結論はいささかひっかかるし、ここの家族どうなってたんだろうという疑問がさらにわいてくるのだが(文庫解説にその話あり)、傍聴期はすごく目のつけどころがよくて読んでいてうならされる。ちなみに北原さんは佳苗と下の名前で記述対象を呼ぶのね。
 おそろしいほどの虚言癖と自らにたいする開き直り、自制できない欲望を抱え金があって当たり前の生活。他方で少なくとも身近で死んでいる男性にたいしては感情の一片も示すことなく、ひたすら自分語りが続く法廷。おまけに、判決後の手記つき。どこまでも振り回される法廷をとりまく人々。北原さん自身書いているが、まったく木島被告には共感できるところなんてないし、嫌悪感すら覚える。それどころか、なんらかの人格障害の診断がつくだろうと思いたくなる。裁判ではそう簡単にはいかないでしょうが、これ読んでいれば、心証はクロ、おそらく北原さん自身もそうなのではないかな。
 他方で、騙された男たちについては感情移入できないとまではいわないけど痛いな−。この男達を前に「なんでこんな女に」式の話はないでしょう。自分に都合のいい女がいるという幻想とその幻想のもとでかえって都合よく扱われてしまったバカな男の現実がかわいそうなほど露骨にさらされてる。読んでいて感じるのは、木島被告って性や結婚を武器にしていながら、女であることになんの愛着も抱いてないのではなかろうかということだ。むしろ、女であるとは愚かな男を釣る道具であり、自らのプライドを支える糧であったように思える。でも、この人、男を騙して金せしめる以上の何をやりたかったんだろう?
 北原さんは木島被告が「自分を大切にしていた」と書く。しかし、わたしはこの人に自分なんてあったんだろうかと思う。ちなみに「自分を大切にしていた」というのは「売春は自分を大切にしない行為である」と語った女性の言葉を受けて北原さんが気づいたことである。でも、「自らを傷つける」人間にはそれに値する自分がいる。北原さんが自分を大切にしていたというのは兄弟姉妹と楽しく豊かな生活をしていたということ。でも、そこって自分がいらない場所だよね。それに、ほんとうに人を殺して遊んでいたなら、それって自分を大切にしていることになるのだろうか?しかも、他方で北原さん自身が木島被告についてこう書いているのである。

あなたから見える世界を描くことは、あなた自身を曝すことだ。それは、飾った言葉での精神分析よりすっぞ、あなたを物語る。たから、直視してほしい。男性達の死を直視してほしい。男性たちにあなたが感じた苛立ちの根源を、描いてほしい。---(206頁)。

 私はそんなものあるわけねぇーだろと思いながらこの部分を読んでいた。きっと、この人にそんなものはもともとない。援交と新・専業主婦志望「全く違う価値観の女を2人抱えたまま、ずべて1人で、その答えを出しているように見えるのだ」っていうけど、そもそもこの二つの価値観に相剋なんか感じてやしないだろう。それ以前に、もともとこの二つってのは私には必ずしも相容れないものに思えない。玉の輿にのって専業主婦やって遊んでくらせる身分におさまろうとすれば実質的には援交と変わらなくなる。逆に、相剋を感じる人こそ木島被告を理解できないのではなかろうか?
 木島被告には女性の友だちはいなかったらしく(当然な感じがする)、大切にしていたのは兄弟姉妹だけのようだ(母的?)。とはいえ、母親とは相性が悪い一方、その母親に似ているという指摘がある(これも納得)。他方、末娘を大切にしていたという父からも十分愛されたとは言えない感じ。そして、「田舎」にいた過去を消そうとしている。とみていけば家族関係が気になる。練炭って何か意味を持つのだろうか。
 一部の女性からはとても共感を得ているということで(しかし、身近にこんな女性がいたらどう感じるのだろう?)、東電OL事件にも重なるような話だが、男に媚びずに開き直って自由にふるまう姿に共感しているらしい。でも、この自由ってことばひっかかるよね。自由に生きるっていうけど、実態は誰かに寄生して生きるってことじゃないの?同時に世間的な道徳も気に掛けないのだから、もし殺しているなら、酒鬼薔薇事件あたりに重ねたっていいようにも思う。
 

 
人が集まっているというわりにはメディアは騒いでいませんな。しかし、この一件は騒がない方がいいと思うよ。バカな男たちとそれにつけこんだウィルス女の話ということで。人が死んでなければいくらもある話のような---。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3262