最初にロボットで演劇をやるというとき、自分のなかにどこかしら小馬鹿にしているところがあって見に行かなかった。そもそも平田オリザの舞台をほとんどみたことがなかったというのもあるが。しかし、この素朴な偏見は私の考え方に反していた。そして、相田監督の『演劇1・2』を見たときに私のこうした偏見は完全に吹き飛ばされた。そう、ロボットとの間に演劇が成り立っても不思議はないはずなのだ。というわけで今回。
最初に明らかにロボットだという人形(アンドロイドというのが正確らしい)がおいてあって、他にヒトが出てくるんだろうなと思っていたら、暗転してアンドロイドだけのモノローグが映し出されたこのとき一瞬、さっきの人形の代わりに役者さんが出ているのかと思った。で、舞台に光があたって、背もたれに隠れて見えない「外国人」の方がロボットなのかと思ったが一瞬でそれは違うと分かった。
どういうつもりでこうしたのかわからないが、アンドロイドの声は傍らにあるスピーカーから流れてくるので、それにあわせて口が動いていても、いったいこの声がどこでひびいいているのか分からなくなる。たとえば、もう「ひとり」の「外国人」のアタマのなか?それから、このアンドロイドよくできているとだが、会話のなかでうなずいたり、答えたりするときの相手と間合いが少し変だ。もっとも、相手も日本語ネイティヴではない(という設定になっている)のでやはり間合いが少し変だ。さらに、途中でアンドロイドの口の動きと台詞が同期しなくなった。最初見たときは単にテクニカルなミスかとも思ったが、むしろこれはあえてやっているのではないかと後から思えてきた。
最初にこのアンドロイドの演技を見たときに思い浮かべたのは、題名は忘れたが玉三郎の舞台だった。人形浄瑠璃を歌舞伎に移したもので、人間が人形の動きを模倣する。そうすると、それの方がしぐさが人間のこころの動きを示しているように見えるのだ。
この舞台を見ながら、人間らしく見せることもできるアンドロイドにあえて人間らしくない動作をさせることによってかえって「人間らしさ」を作り出しているように見えた。このアンドロイド、基本的に詩を朗読するロボットなのだが、主人がいなくなって、おそらくは壊れて、わるいは壊れたように詩の朗読を続けることで、なんだか寂しさが感じられてくる。でも、これ舞台のなかでは相対的に「人間らしく」ない部分なのである。
こうなると人間らしいとか、人間らしくないとかいうことがどういうことなのか書いていて自分もわからなくなる。ついでに言えば、人間も壊れる。終わった後のトークもその後のシンポみたいな席上での平田オリザの発言もスゴいというか、このヒト、ほんとによく考えていると思った。それから、お若い市長さんはもう少し勉強してください。ほとんど同じことばかり言ってました。
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