自己の分析

 やっとこちらに戻って、自己愛障害における理想化、自己愛の固着は「必ず親イマーゴの変成性内在化が究極的に完成するのに先立ってできあがる」(68頁)。自己愛障害における理想化転移の場合の徹底操作の過程は

①患者が理想化していた自己-対象の自己愛的同一を失うこと。②それによって生じる自己愛バランスの障害。ひきつづいて生じる。a)理想化された親イマーゴ、もしくは b)誇大自己という原始的なかたちの過剰備給。そして束の間だが④(自体愛的な)断片化して身体-精神-自己の過剰備給(88頁)。

 で、その場合、本質的な発生論的外傷は、親の精神病理のなかに、ことに親自身の自己愛の固着のなかに基礎を持っている。というわけだから、マスターソンが言うこととよく似ている。まず、親の不在や喪失にともなう子どもの反応。「理想化された親イマーゴの著しい過剰備給が遷延するのは、親からの分離の時期が引き延ばされ、その間に子どもがその親からの理想化備給を撤収することができず、またそのような備給を心的構造の形成をにたずさわらせることができない場合である」(75頁)。さらに「理想化が継続するのは、父親の現実的な欠点を発見する機会がないといおうことによって説明される」(76頁)。「そのような人々は、彼らが切望してやまない理想化された自己-対象に無意識的に固着しており、また十分に理想化された超自我を欠いているので、外在する全能の人物を永久に求めつづけ、彼らの支持と承認から力を得ようとする(77頁)。
 要するに、自己愛の固着は、超自我ができあがる以前、エディプス期以前にできあがる。それについては、親の固着の問題が大きくて、幼児が得ている母親との一体感から解放される以前に、親の不在や親の喪失が生じてその代替が効かない場合、母親との一体感を得ているときに理想化されていた自己-対象への自己愛の備給から足抜けできなくなる。そういう場合は、超自我(理想)が形成されないから、その代わりにそれを体現する人物が求められることになると。なんか、ファザコンとかこれに関係してきそう。いずれにせよ、これも投影性自己同一視っていうことでいいんだよね。
 で、自己愛障害者は普段自らを万能感で満たしているが、外在的な環境の変化により、特異な失意や無力な憤怒という反応を示しやすいが、それが分析にも現れてくると。