マルタ

 大島の次はファスビンダーである。その次は、ベルトリッチである。この人たち、私をまともに働かせる気があるのだろうか?
 それはともかく、この映画のなかでは、旦那がサディストだって話になっていくのだが、その話の進行過程で旦那が妻に求めるあまりにアホらしすぎる要求とそれをどう受け止めたものかとまどっていまう妻に思わず吹いてしまった。とはいえ、この話がヴィクトリア朝ではなく、戦後ドイツのブルジョア女をめぐるものであることを考えれば、この呆れたくなるほどの世間知らずぶりが滑稽とはいえなくなる。ここでサディズムといわれているモノは、いまならDVと言いかえてもほとんど違いはあるまい。
 そもそも、多くの人間にとって結婚するとか、家を買うとかは一生に一回しかない出来事だ。しかも、男女が交わる機会もそうそうない時代であるとすれば、一体何が愛かなんてどうやって分かるのだろうか。性の快楽なんてどれだけの人間が覚えることができたのだろうか?ちなみに、この問題設定は対象を子どもに置き換えてみればいまでも十分有効だし、価値観が多様化しただけ、いまでもリアリアティを帯びているかのかもしれない。ねぇ、愛って何?
 とか考えると、いまなら理論的にいろんなことが言えそうな感じがするフーコーの権力論だが、それが説き起こされた文脈を考えれば違った意味を持つのかもしれないと思ってみたりもした。