日本倫理思想史

 でも、和辻は明治維新国民国家の成立としてみているんだよな。

しかし王政復古は、単に武家執権の以前に帰ったというだけではなかった。それは開国と必然に結びついている近代的国民国家への急激な転向であった。その際皇位の伝統は、国民的統一を表示するものとして、実際に作用する力を持っていたのである(263頁)

 で、明治当初の福沢を高く評価する一方、こうした流れの反動として「国民道徳論」が出てくることになる。この時期に帝国憲法が発布され、教育勅語が現れる。和辻は教育勅語と以下のように憲法と区別しながら評価する。

憲法の規定する天皇は、統治権の総覧者ではあるが、その統治を憲法の条規に従って行うのであって国民に道徳的命令を与え得るわけではない。しかるに教育勅語は、道徳のことに関して、何か非常に権威ある教え、自由に批議することのできない教えとして国民に与えられた。こういう直後を下しうる天皇は、憲法の規定した国の元首としての天皇ではなくして、国民の尊崇の感情の対象としての天皇ではなくてはならない。云々(306頁)。

つまり、憲法教育勅語の間に法と道徳の区別を引き、前者に近代国家の元首としての天皇をわりふり、後者に文化的共同体としての国民を代表する天皇をふりわけるわけである。もっとも、前者を選りだすためには後者が必要だろうが、和辻はある意味こうした文化的共同体の自然性を行論のなかで確認しようとしてきたのだとも言える。そして、和辻は教育勅語には、封建的かつ私的な関係にかかわる忠義が含まれていないことを強調する。「この勅語の本論のなかには、封建的な忠君思想は掲げられていないのである」(308頁)。そして、この点を確認して、読み解かれる教育勅語は和辻が『倫理学』で描き出した世界そのものである(309頁以降)。
 ところが国民道徳の唱道は、まさに道徳にこうした忠孝を持ち込むものとして批判されている(323頁あたり)。それは、古文辞学国学が歴史的に存在した道徳を現在にそのまま適用しようとしたのと同じ誤謬を含んでいることになる。だとすれば、天皇尊崇の自然性だってそんなに単純に言えるものじゃなかろうし、さらにそのことの歴史性を突くことだって出来るだろう。だから、和辻自信が、国民道徳論者とはまた別の意味でイデオローグだったという言い方もできると思うのだが、ひとまずここではこの話はおく。
 その前に、この本、戦後に発表されたわけだが戦前の論文も含んでいる。では、もとになる論文が発表された当時、戦前の和辻はどうだったのだろうという疑問が生じるのだが、とりあえず、この点は、この本をめくると和辻は驚くほど一貫していたということが分かる。また、教育勅語との連続性も指摘されている。ま、だからこそ、内容的には批判しつつも、津田左右吉の議論を擁護することもできたんだろうな。とりあえず一巻(?)の終わり。