いのちの倫理

 「こうみてくると、「有害ないのち」を課されたという損害の賠償を請求する訴訟は、「生んだ者たちへの呪い」という性格も帯びている」(28頁)。「生んだ者たちへの呪い」というのは、大庭さんの問題設定を越えて有効そうな感じがする。でなければ、たとえば、---のような事件は考えられまい。

しかし、訴訟への訴えには、さきにみた呪いの発語の特徴がそっくり出揃ってもいる。このことも否定できない。第一に、賠償が求められているのは、たんなる損失ではなく、「不当な・いわれなき甚大な被害」である。第二に、その賠償の訴えは、当の相手つまり「生んだ者たち・生むのを助けた者たち」に直接向けられた語りかけであることをやめて、もっぱら裁判官・陪審員裁判員)に向けて発せられる。そして第三に、そこで希求されているのは、当事者間の了解と呼応可能性の回復であるよりも、司法の力によって、損害を与えたものたちに罰が下ることである(28-29頁)。

 

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