「女」であること

 新聞報道をみたかぎりでの印象だが、木島被告の裁判って、争点になっているのはある意味で「女である」ということだな。彼女を有罪にするためには、「こういうことをする女は人殺しだってするだろう」という推論が説得力を持たなければならない。これはある意味では偏見であるが、逆に、報道内容をみるかぎり、彼女の行動はその「女である」ことを利用しているように映るし、相手の男性も「女」として見ていたわけだから、そこに焦点を充てて推論する余地が生じていることもまた確かなことに思える。